残業代ゼロ反対を叫ぶ20世紀の人々

山田 肇

労働基準法を改正し高度プロフェッショナル制度を導入する、という政府の提案を一度は容認した連合(日本労働組合総連合会)が反対に戻った。臨時中央執行委員会で会長が陳謝したと報道されている。

高度プロフェッショナル制度は、平均賃金額の3倍以上である年収1075万円以上の一部の専門職を労働時間の規制や残業代の支払い対象から外す制度である。対象の職種は、為替ディーラーや研究開発職、コンサルタントなど省令で規定する範囲に限られる。

没頭すると他を忘れてしまうというエジソンの逸話が残っているが、多かれ少なかれ研究開発職にはその傾向がある。会社の机を離れても考え続けるのが普通であり、一方で会社にいても上の空という場合もある。しかも、研究開発職はこのような働き方が好きだし、それしかできない。研究開発職の労働を勤務時間で測ることには無理がある。

工場であればラインが動いている時間だけ生産が続く。ラインを長く動かし労働者に残業させれば、それだけ生産量は上がる。それなのに残業代をゼロにするのは不当である。高度プロフェッショナル制度への反対論は、この工場労働者像から離れていない。

東京新聞の社説は「成果を出すために働き続け、成果を出したらより高い成果を求められ、際限なく過重労働が続くおそれがあること」が高度プロフェッショナル制度の問題点だという。しかし、研究開発職の場合には労働時間と研究開発成果には比例関係はないから、社説のようにはならない。それは為替ディーラーもコンサルタントも同様である。

長時間働けば記者はたくさんの記事が書けるだろうか。新聞記者は高度プロフェッショナルではないのだろうか。東京新聞には労働時間で計算できるような記事しか掲載されていないのだろうか。

残業代を問題にするような、量産工場のラインの仕事は今後ますますロボットに置き換えられていく。創造的な仕事や多様な人々と協調し合意を形成する仕事といった、ロボットやAI(人工知能)にはできない分野に人々の労働の中心は移っていく。そのような時代の動きを高度プロフェッショナル制度に反対する人々は理解しているのだろうか。はなはだ疑問である。