転職先を告げるべきか?

荘司 雅彦

昨今、転職は珍しいことではありません。「一生、同じ会社で働きますか?」(文響社)の著者である山崎元氏は、なんと12回の転職を経験しています。

転職に際しての悩みは実に多いのですが、「転職先を告げるべきか?」という問題もそのひとつです。前掲著では「それは自分の問題なので申し上げません。ご心配いただかなくとも結構です」と言うことを勧めています。その理由として、ネガティブ情報を吹き込まれたり、会社同士の関係によっては転職に邪魔が入るということが挙げられています。

法律的に考えれば、転職とは、それまでいた会社からの退職(労働契約の解除)と新しい会社への就職です。退職の場合、月給制の場合は月の前半に告知すればその月の末日、月の後半に告知すれば翌月の末日まで在籍すればいいのです(日給制等の場合は告知から2週間経過後)。その後どう生きるかは個人的な問題なので、業務命令をもってしても再就職先を開示させることはできません。私が長銀から野村投信に転職する際、「転職先を言わないのは、世話になった支店長の顔に泥を塗るのと同じだ!」とN次長(一般企業の課長職)に恫喝されて止むなく開示しましたが…。

ただ、法的に留意すべき点が若干あります。

同業他社に転職する場合は、事前に必ず退職金規定を確認しておきましょう。退職金規定に、「同業他社に転職した場合は退職金を減額ないし没収することができる」という文言が入っていると厄介です。

判例では、このような規定があっても諸事情を斟酌して「退職金の減額ないし没収」を制限しています。最近の判例では、競業避止特約によって保護すしようとする使用者の利益、労働者の退職前の地位、競業が禁止される業務・期間・地域の範囲、使用者の代償措置の有無等の事情を考慮して、(規定は)合理性を欠き無効と判断した事例があります(アメリカン・ライフ・インシュアランス・カンパニー事件)。

とはいえ、「規定により不支給だ」と告げられてから「退職金を支払え」と裁判所に提訴するのは、金銭的にも時間的にも甚大なコストがかかります。「転職先を告げない」という正攻法が通じないようであれば、「実家に帰らなければならない」という無難な理由で退職金をしっかり確保するのが得策でしょう。一度支給してしまえば、実害がない限り「返せ」と請求するような会社は滅多にいないでしょう。嘘も方便です。

一般の従業員の場合は、入社時に「退職後も職務上知り得た秘密を漏洩しない」という念書や覚書を差し入れる程度ですが、高度な研究職や経営判断を行う地位にある人たちは「同業他社には転職しない」という念書や覚書を差し入れているケースがあります。入社時にはたくさんの書類を提出するので、自分が差し入れた念書や覚書の存在や内容を忘れてしまう人がいるので要注意です。

最近の判例には、会社からの損害賠償請求に対して「競業制限の期間・範囲(地域、職種)を最小限にとどめることや一定の代償措置が必要である」と判示したものがあります。逆に言えば、相応の代償措置を講じれば、1,2年程度は競業他社への転職を禁じることができると考えることもできます。

例えば、ソニーの先端開発部員だった人が退職した翌日からパナソニックの先端開発部員として働くようなことがあったら、ソニーとしては困りますよね。職務上知り得た秘密を漏らさなくとも、頭の中に入ってしまった知識や経験を削除することはできませんから。

いずれにしても、転職に際しては「立つ鳥跡を濁さず」で、しっかり引き継ぎをしてオトナとしての態度を示しておきましょう。後足で砂をかけるようにして退職すると、後々まで悪い噂が広がってあなたのキャリア形成の障害になりかねません。

反面、会社を信用しすぎないことも忘れてはなりません。自分が誠実にオトナの対応をしても、実にオトナゲナイ対応をする会社がたくさんあります。万全の注意を払いつつ、禍根を残さない心がけが肝要と考えます。

説得の戦略 交渉心理学入門 (ディスカヴァー携書)
荘司 雅彦
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2017-06-22

編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年8月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。