医療的ケア児のママが史上初めて大臣になった

駒崎 弘樹

医療的デバイスを付けて生きる障害児、医療的ケア児。

その医ケア児を育てている母親が、この度の内閣改造で史上初めて大臣となった。

野田聖子総務相である。

マーくんママとの出会い

野田聖子さんとは特別養子縁組支援の法制化で、2013年後半から何度かお会いしていた。ただ、ちゃんと話すようになったのは、彼女のお子さんが、僕たちフローレンスの運営する「障害児保育園ヘレン」に偶然にも入園してきた時からだった。

野田さんのお子さんのマーくんは、痰の吸引など医療的ケアが必要で、普通の保育園や幼稚園には行けなかった。保育園や幼稚園は看護師を置いていないところも多く、またたとえ置いていたとしても、ほとんどの園では医療的ケアを行わない。

仕方がないので彼女は月に数十万円もかけて看護師を雇って、働いている時にみていてもらっているようだった。障害児保育園ヘレンには保育士も看護師もいるが、国の補助も活用して月々数万円で預けられる。入園の際は、喜んでいらっしゃった。

それからしばしば、「マーくんのママ」としてお会いすることが多くなった。会うたびに、iPhoneで撮ったマーくんの動画を出しながら、「こんなことができるようになったの」「ほら、この顔、可愛いでしょ?」とワハハと笑いながら見せてくれた。

自民党のすごい偉い議員さん、というよりは、普通の子どもを可愛がっている肝っ玉母さんで、朗らかに子育てに奮闘している、という印象だった。

絶句する元国家戦略担当大臣

そんな中、民主党政権の時に国家戦略担当大臣を勤めた、荒井聰議員がヘレンに見学に来てくれた。そこで荒井議員はマーくんを見かけ、ヘレン入園前に野田さんが何十万もかけて、マーくんを預けるのに苦労していた話を聞いて、絶句していた。

「そんな・・・。野田聖子って言ったら、すごい力を持った政治家だぞ。その彼女ですら、そんな苦労をするって、一体どういうことだ・・・」

彼は早速、他の党だったけれど野田聖子さんに連絡し、話し込んだ。

「野田さん、あなたの息子さんのような状況の子どもはたくさんいる。あなたは自分の息子のためにやっている、と言われるからやりづらいかもしれないが、それでも立ち上がらないといけないんじゃないか?やるんだったら、協力するよ」

そんなことを伝えたらしい。野田聖子さんと荒井議員は、息子さんと同じように、行き場がなくて心身ともに疲弊している医ケア児とその家族たちの問題を政治的イシューにあげようと、超党派の勉強会を創った。

その会議は、「永田町こども未来会議」と名付けられた。

実際の永田町こども未来会議の様子

実際の永田町こども未来会議の様子

野田聖子さんと荒井議員は、自民・民進・公明党と異なる党から、障害児問題に関心のある議員を集めた。また、厚労省内では医療・障害・保育と部署が分かれていることで、そのどこにも拾われていないことが分かり、関係部署は全て呼ばれた。さらには学校も絡んでくるので、文科省の障害担当部署も呼ばれた。また、内閣府も絡むので内閣までも。

この「関係者丸ごと呼ぶ」という異例中の異例の会議を何度も開催していくことで、医ケア児について初めてまともに省庁と議員が語り合うことになった。

そして、統計すら存在していないこと。よってどこにどれだけの医ケア児がいるかも分からず、当然十分な支援を受けていないことが分かった。

さらには、特別支援学校に行っても十分な支援体制がなく、親が付き添い続けなくてはならない、という酷い状況であることも明らかになった。

野田聖子さんは、当事者の親として、官僚たちが「これこれこういう制度があるはずですが・・・」等と言っても、普通なら「あ、そうなんだ」で終わってしまうところを、「いや、そんな制度現場に降りてきてないし、そもそもその制度を回せる人材もいないのよ。だってうちが使おうと思ったら、使えなかったし」と、ゴリゴリ切り込んでいったのだった。

これらの調査・議論・対策検討を、ものすごいスピードで行なっていった。政治家、野田聖子の手腕だった。

野田さん達が、もたらしたもの

永田町こども未来会議では、障害者総合支援法の改正に合わせて、医ケア児支援をぶっこんでいこう、という狙いがあった。

野田聖子さんの息子さんの写真を見せ、国会で医療的ケア児について説明する荒井聰議員

野田聖子さんの息子さんの写真を見せ、国会で医療的ケア児について説明する荒井聰議員

はたして永田町こども未来会議が動き出して1年ちょっとの2016年5月。その改正条文に、日本の法律で初めて、「医療的ケア児の支援」が謳われた。

全ての基礎自治体は医療的ケア児支援の努力義務を負うこと、となったのだ。これは社会福祉の教科書に載るような出来事だった。

これまで制度と制度の狭間で苦しんでいた人々に、一筋の光明が差し込んだのだった。

学び

ここから僕が学んだことは、こうだ。

マイノリティ当事者が、政治の場にいなければダメだ、と。

野田聖子さんは、医ケア児というマイノリティの息子さんを持ち、まさに肌感覚でその苦労を分かっていた。その知識とモチベーションは、力がある。

知識がなければ、官僚の人たちを動かせない。制度論でケムに巻かれてしまう。モチベーションがなければ、官僚の人たちを動かせない。彼らは政治家の本気を見ている。

マイノリティ当事者には、この2つがある。マイノリティのために制度を変えるには、マイノリティ自身が政治の場に送り込まれなければならない。

女性を、障害児の親を、障害者を、LGBTを、里親を、外国にルーツがある人を、ひとり親家庭出身者を、ステップファミリーで育った人を、その他さまざまな少数者が、政治の場で血肉が通った言葉で発言し、制度づくりに携わるべきなのだ。

そしてマーくんママ、いや野田聖子総務大臣。医ケア児仲間が総務大臣という責任あるお仕事に就かれたこと、誇りに思います。

同時に、例えば医ケア児や障害のある人々が、テレワークでどこにいても仕事ができる社会をつくれるようにするのは、総務省のお仕事です。野田さんがご存知の通り、99%の医ケア児の母親は働けていない。テレワークが普及すれば、少しでも働ける母親が増えるかもしれない。

頑張ってください。いや、共に頑張りましょう。いつの日か医ケア児とその家族が当たり前に暮らせ、学べ、働ける日本となるように・・・。


編集部より:この記事は、認定NPO法人フローレンス代表理事、駒崎弘樹氏のヤフー個人ブログ 2017年8月6日の投稿を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。