『集団的自衛権の思想史』の読売・吉野作造賞の受賞後、「いよいよ篠田さんに対するレッテル貼りも本格化するね」、と言われた。
一番目にしたのは、「憲法学の素人だろ」というレッテルだ。ほとんどの場合、「読んでない」という言葉に付随した単なる誹謗中傷だった。つまらない。
するとある噂を小耳にはさんだ。憲法学者の方々が、「東大法学部系の憲法学」という言い方に激憤している、という噂である。結局、篠田は東大法学部に「ルサンチマン」を抱いているだけなのだろう」、と憲法学者が集まって学会でささやいているという。そのうちに篠田さんに対する「ルサンチマン」レッテル貼り運動が始まるから気を付けたほうがいい、と言われた。
つまらないな、と思っていた矢先に、アマゾンの拙著の書評コメントで、噂に聞いたとおりのものを見た。言葉づかいなど酷似などの状況証拠だけで云々はしないが、いずれにせよこのようなものが私の本に対する憲法学界からの対応だということになる。
このアマゾンのコメントは、私の本を、「東大へのルサンチマンにとらわれて書いたもの」というレッテル貼りに終始する。あとは「日本国憲法は日本語が正文だ、篠田は自衛隊合憲派だ」、という指摘があるだけで、拙著の内容の分析に関することは何もない。
それにしても、今後は篠田の批判はすべて「ルサンチマン」の産物だ、という運動が巻きこってくる、ということなのだろうか。やれやれ。憲法学者だと断定はしないが、世の中には、結局、そういう次元でしか生きていない人々が多いのだ。
残念である。
私は高校2年の終わり頃まで、ミュージシャンになりたかったので、東大を受験したことも、目指したこともなく、正直、東大生になりたいと思ったことがなかった。http://nicoapple.sub.jp/so30987788
その一方、『集団的自衛権の思想史』の出版社の社長/編集者は、東大法学部卒の方で、『ほんとうの憲法』担当の出版社の編集者も、東大法学部卒の方である。その他、多くの東大法学部出身の親しい年上、年下、仲間の方々に、私はお世話になっている。東大の教養学部(駒場)であれば、非常勤で授業を担当しているが、教員の立場になっていると、東大生の方々とのやり取りはとても楽しい。
誤解があるのかもしれない。
私は、憲法学者は「社会的権力者」だと何度も描写してきている。司法試験、公務員試験、各種学校教科書などを通じて、絶大な社会的権力を行使しているからだ。
だが、私は、憲法学者が「エリート」だと言ったことはない。日本社会の本当の「学歴エリート」層が、憲法学者になっている形跡はない。
実情は、これらの記事を見るとおわかりいただけるだろう。
「東大までの人」と「東大からの人」大切なのは「出身高校」というブランド(現代ビジネス)
トップ高校閥、日本を動かす秘密は「卒業生の厚み」(ダイヤモンドオンライン)
東大法学部系の憲法学者の出身高校を見てみよう。戦前に教授となった美濃部達吉や宮沢俊義は、ともに第一中等学校(旧制一高)の出身であり、彼らは戦前の純然たる学歴エリート路線を歩んだ人物たちだったと言えるだろう。
しかし戦中に東大法学部に入り、卒業時に新憲法が制定されているという過渡期の中で憲法学講座担当になっていったのは、小林直樹(旧制上田中学校/旧制水戸高等学校出身)や芦部信喜(旧制伊那中学校/旧制松本高等学校)であった。さらに戦後の高橋和之(岐阜県立岐阜高等学校)、長谷部恭男(広島大学附属高等学校)、石川健治(大阪府立北野高等学校)各教授は、東大合格者数の上位を占めているとは言えない地方高校の出身者である。
唯一、2010年に東大に転任してきた42歳の宍戸常寿教授が、筑波大学附属駒場高等学校出身で、異なるパターンを見せている。ところが宍戸教授は、安保法制の喧噪にも参加せず、集団的自衛権について論じた言説もなく、立憲デモクラシーの会にも入っていない。そこで私は、「東大法学部系の憲法学者」グループの中に、宍戸教授を含めていない。
どちらかというと東大法学部出身で長谷部教授への尊敬心を繰り返し公言している首都大学東京の木村草太教授(出身高校を公表していないが横浜辺りの公立高校の出身とされる)のほうがパターンに一致する。そこで私は、宍戸教授を差し置いて、木村教授を「東大法学部系憲法学者」のグループの代表であるかのように論じてしまっている。
宍戸教授には申し訳ない。ただ、そのあたりは拙著を読めばすぐにわかっていただけるところかと思う。私が言う「東大法学系の憲法学者」は、前著『集団的自衛権の思想史』を執筆中に自然に出てきた言い方で、伝統と傾向を見て、論じる対象の憲法学者の方々をまとめるのに最適な言い方だと気付いたので、使い始めただけだ。東大法学部出身憲法学者でも、私が論じていない方々については、私の議論とは関係がない。憲法学者ではない方々とは全く関係がない。
そう言う私自身、県立高校の出身である。学界は、このパターンが結構多いように思う。万が一高校までに勉強し過ぎて疲れていたり、他人が作った問題に解答する能力を競いたがる癖がついていたりするタイプは、学者には向いていない。まして「東大法学部の伝統を反映した傾向が東大法学部出身者に顕著に見られるのではないか」、という指摘に、「東大に対するルサンチマンだ」、というレッテル貼りをする運動しか思いつけない方は、そもそも学者になるべきではないタイプの人だろう。
ぜひ「東大法学部系の憲法学者」の方々にも、「官僚が言っている事が絶対的な憲法解釈だ」、「自分たちと違う憲法解釈はクーデターだ」などといったことを主張する政治運動に没頭するのではなく、もっと学者らしい仕事をしてもらいたいと思っている。
最後に一言。私の最終学歴は、London School of Economics and Political Science (LSE)のPhD.(国際関係学博士)である。博士号すら持っていない憲法学者の方々にルサンチマンを抱いている、などと言われる立場ではない。恐縮ながら、「ガラパゴス」の世界だけに生き続けようとするのもいい加減にされたらどうか、と申し上げざるを得ない。
編集部より:このブログは篠田英朗・東京外国語大学教授の公式ブログ『「平和構築」を専門にする国際政治学者』2017年8月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。