きだみのる『にっぽん部落』は、日本の風土に根差した民主のあり方に逆光線を当てる示唆を与えてくれた。それを可能にしたのは、この著作の根源的な意義でもある、現場に身を置き、そこで営まれてきた生活を把握し、地に足のついた発想をするという一点である。徹底した現場主義だ。
都市のサラリーマンに比べ、むら社会はそれぞれが田を持って独立し、自由であり、掟によって自主的に全体の利益に従うことはあっても、上から頭ごなしに命令されるという慣習は存在しない。都会からは閉鎖的に見え、オルグの対象とされたとしても、押し付けられる空疎な理論をはねつける伝統の力がある。失われゆくむら社会を理想化し、単純な回顧に陥っては、筆者の意思を曲解することになる。
むら社会と都会が関係を保ちつつ、時空を超えて行き来できたとしたら、国民の性質にかなった民主の道を模索する道はより豊かになったのではないか。少なくともそう反省をすべきなのではないか。中世以降、有縁の逃げ道として無縁があったように、有縁と無縁が有機的なつながりを失わなければ、現在の、糸が切れた凧のような無縁社会にはならなかったのではないか。
私は最も心を打たれたのは、きだみのるの次の視点だ。彼の目は予断や好き嫌いを排し、まっすぐに村人へ向かう。
「部落の者を観察していると、彼等は部落の各々に善悪の二本立ての考課表を作っているように見える。これは長年日々につき合い、人間を全人的に観察しているので出来るのだ。こうして腹の立つときには考課表のいいところを思い出し、好きになっても悪い表は忘れない。そこまでゆくには時間がかかることもある。かっとしたときには相手の悪いとこを思い出してなお腹を立て、仲良くなるとよい点を思い出して用心も忘れるが、やがて反対を思い出して修正される。こんな観察のし方をしたら人間とは道徳的には善から悪までのすべて、政治的には右から左までのすべて、器質的には温良から暴力までのすべて、その他反動から進歩的までのすべて、何からかにからその反対の極まで持っていて、なるほど『人間は無限で定義づけ難い』ことが改めて解る」
「わたしだけがいい子で、他人は悪い子」などということがあるはずはない、という人間観、人生観が控えている。有縁社会は、いかにして人と向き合えばよいかということをあくまでも追い求めるのだ。これに反し、無縁社会における人間は現場を離れて抽象化され、いかにして人為を避けるかを学んだ先に横たわっている。
土地から切り離され、人間が機械の部品に分断された無縁社会を結びつける接着剤として、空虚な愛国心が利用された。中国では伝統文化や毛沢東思想が持ち出され、日本では天皇を頂点とする国家神道、それを具現化するための教育勅語が生まれた。
現場を歩き続けた柳田国男が戦後、教育勅語に代表される教育の欠陥を批判して、
「公徳心、公衆道徳というものが書いてありません。愛国ということはあるけれども、愛村、愛県、愛地方というものがないし、一般人に対する態度というようなものを決めるものが出ておりません」(『村の信仰』)
と書いている。「一般人に対する態度」とは、きだみのるの言葉を借りれば「二本立ての考課表」である。
敗戦によって愛国を否定したところへ、その代わりに愛すべき故郷があるのかと言えば、すでに都市化によって失われている。もはや無縁は極限にまで推し進められるしかない。無縁は核家族や高齢化によって生まれたのではなく、愛国に代わる縁の結びを探し得なかったことによって導かれたのだ。むら社会の実態をしっかり見なかったことによって生じたのだ。
個人の知識の蓄積や経験はますます軽んじられ、長老の知恵が重宝だった時代は終わった。インターネット社会、人工知能によって、その傾向はますます強まるに違いない。過去の記憶はコンピュータに刻まれるが、人間の頭脳からは遠ざかっていくことを意味する。無縁社会で失われるのは個人の存在ばかりではない。むしろ、共同体が担うべき経験や記憶、伝統が流出することの方が、禍根が大きい。
個人を尊重することに価値を見出すことも結構だが、その視点だけではむら社会の歴史的な意義は見失われる。人間を暮らしの中に置いて全人的に観察し、生活者の目線を取り戻すところから始めるしかないように思う。
(完)
編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年8月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。