こんにちは、都議会議員(北区選出)のおときた駿です。
こんな記事がネットで出回ってきまして、気になったのでピックアップ。
上原多香子、今井絵理子…「83年生まれ」特徴を識者が分析
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170824-00010008-jisin-ent
「個性を尊重した教育を受け、環境も整い、『キミたちには無限の可能性がある』なんて周りから言われながら育ってきたのですが、バブル崩壊後に景気はどんどん下降することに。そして自分たちが社会に出るころ、ちょうど就職氷河期の真っただ中にさしかかるわけです。つまり、幼少のころから言われてきた、自由で個性を尊重する夢のような時代はもうなかった。待っていたのは“夢と現実とのギャップ”。その差が大きかったのが、この世代の特徴です」(上記記事より引用、強調筆者)
うーん…?どうもこの識者の方の分析が私の実感とだいぶ異なるので、振り返ってみる。
確かに1983年は週休二日が小学校の途中から始まるなど「ゆとり教育」の黎明期にあたりますし、生まれてからバブル景気もありました。
が、バブルが崩壊したのは1991年で、8歳前後のとき。いわば物心がついた頃には不況に突入していたわけで、幼少時代は環境が整っていてバラ色の生活で、夢のような時代だった…という記憶を持っている人なんて、ほとんどいないんじゃないでしょうか。
むしろ我々の世代が世相として最初に痛感したのはそのバブル期後の大不況であり、特に個人的に良く覚えているのは山一證券の破綻です。当時、四大証券の一角だった山一證券が潰れたのは、我々が中学生であった1997年。
私が通っていた私学には「親が山一證券で…」という学友もおり、学校の奨学金対応がてんてこ舞いになっていたことをよく覚えています。
というより、自営業を営んでいた我が家も苦しい経営状況が続き、私自身がこの奨学金申請の列に並んでいたわけですが…。
■
そんなわけで、物心がついてからずーっと不況だった我々が、初めて経験した経済成長が小泉政権による「いざなみ景気」です。
この時に初めて私は、「政治の力で、こんなに世の中って変わるんだ!」と衝撃を受けまして、いまだに尊敬する政治家として第一に挙げるのは小泉純一郎であります。
あの構造改革路線が第一次安倍内閣によって頓挫しなければ、今まったく違った社会が日本にあると思いますし、それはかえすがえすも残念でなりません。
で、この「いざなみ景気」が大学時代の後半に当たるので、実はストレートに進学していれば、わたしたちの世代はスポット的に就職活動では売り手市場だったんですよね。
よって、上記の記事中にある
「幼少時代は恵まれていて夢も希望もあったけど、就職活動してみたら氷河期で社会に絶望した」
というのは、真逆とまでは言わずとも的外れであり、
「物心付いたころから不況しか知らずに育ち、社会に出る時に初めて成長を目の当たりにした」
みたいな感じではないでしょうか。なので、個人的な実感としては、構造改革路線や経済成長にシンパシーを感じる人たちが多いのではないかなと思っています。私自身のバイアスはあるでしょうけども…。
■
とりとめもない所感になりましたが、小保方さんの撃沈により、これまであまり目立った傑物がいないと目されてきた1983年世代。
このまま行くと1983年世代の政治家代表がアノ方になってしまいますので、気合を入れてこの世代から新しい政治家像を創り出していきたいと思います?!
本日27日も、夜は「赤羽納涼フェスタ」の盆踊りに参加予定です。見かけた方は、お声がけくださいませ。
それでは、また明日。
―
おときた駿 プロフィール
東京都議会議員(北区選出)/北区出身 33歳
1983年生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、LVMHモエヘネシー・ルイヴィトングループで7年間のビジネス経験を経て、現在東京都議会議員一期目。ネットを中心に積極的な情報発信を行い、日本初のブロガー議員として活動中。
編集部より:この記事は東京都議会議員、おときた駿氏のブログ2017年8月26日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はおときた駿ブログをご覧ください。