内閣府が行った「国民生活に関する世論調査」によると、現在の生活に「満足している」か「まあ満足している」と答えた人の割合が、1963年以降で最も高くなったそうである。所得・収入について、21年ぶりに「満足」と答えた人が「不満」と答えた人よりも多くなったとか(NHKニュースより)。
所得・収入がそれなりに伸びてくるなど雇用環境が改善し、生活そのものにも満足している人々が増えているそうである。これはアベノミクスによる恩恵と指摘する向きもあるかもしれない。
しかし、アベノミクスが目指したものは、直接、雇用環境の改善や生活向上に働きかけるというものではなかったはずである。日銀がリフレ政策を行うことで、人々のインフレ期待を高めさせ、日本の物価水準を欧米並みの2%まで高まれば、雇用も改善し、景気も良くなり、人々の生活も豊かになるとの発想であったはずである。
しかし、現在の生活に「満足している」という結果だけをみて、これがアベノミクスの成果とするのであれば、途中にあったはずの物価目標達成がなされていないことをどのように解釈すべきなのか。
今回の生活水準の改善は日銀の過度の金融政策によるものではない。まったくないとはいえないが、負債の多い企業や、なにより国の財政が助かっており、その意味での不安は後退しているといえるかもしれない。しかし、それはつまり我々が本来収入として得られるはずの利息収入が犠牲になっていると思えば、低金利政策そのものにより我々の消費が押さえ込まれているとの解釈もできよう。
なにより物価が低位安定していることそのものも、我々の生活の満足度に繋がっているのではなかろうか。伸びは緩やかながらも賃金の伸びが改善し、物価が抑えられていれば当然、生活の満足感に繋がる。デフレを解消しない(物価が2%に上がらない)と景気は回復せず、我々の生活も豊かにならない、わけではない。
いったい日銀は異次元緩和で何をしようとしていたのか。今回の「国民生活に関する世論調査」だけで判断すべきではないとは思うが、異次元緩和の前提にあったものが本当に正しいものであったのか。それをしなければ現在の生活満足度は得られなかったのか。異次元ではなく通常の緩和の延長線でも現在の環境は維持できたのではなかったのか。アベノミクスによる円高調整と株高をもってその成果とするのも勝手ではあるが、それがどれだけアベノミクスによるものだったのかついても検証する必要もあるのではなかろうか。少なくとも現在の環境がアベノミクスによってもたらされたものと結論づけることには無理があると思う。
編集部より:この記事は、久保田博幸氏のブログ「牛さん熊さんブログ」2017年8月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。