ああ、この方も元々は自民党だったんだよなあ。
亡くなられた元首相羽田孜氏のことである。
中選挙区制選挙から小選挙区制選挙への転換に際してこの方が如何に貢献されたのか、ということをこの方の訃報を知らせる新聞記事を読んで改めて確認した。
保守にして政治改革の志を生涯失われなかった政治家として紹介されていた。
故人を知る方々が異口同音にいい人だったと故人を偲んでおられるのだから、本当にいい人だったのだろう。志が高く、理想を追い求め、決して人を裏切らないから誰からも尊敬される。
私は直接その謦咳に接したことがないから、故人はただのいい人だと思っていたが、今は、故人との関わりがあれば行動を共にすることがあったかも知れないな、と思い始めているところである。
日本新党の細川護熙氏の辞任を受けて後継の総理大臣に就任されたが、少数与党の状況の中で総理就任から僅か60日余りで政権を投げ出さざるを得なかったが、政治改革の志を遂げるために、衆議院の解散・総選挙をせずに、あえて内閣総辞職を選んだという話を読んで、その決断の凄さに気が付いたところである。
解散してしまえば、それまで営々と築いてきた政治改革に向けての話し合いが水泡に帰してしまう。
内閣総辞職をして新首班指名選挙を行えば、政権の座を降りることにはなってしまうが、与野党間で積み上げてきた政治改革の話し合いはご破算にはならない。
今は、政治改革を進める時。
そう思い定めて、あえて内閣総辞職を選んだ羽田さんは、やはり立派な政治家だったと思っている。
今となっては、私自身はあの時の小選挙区制の導入が日本の今日の政治家の劣化を招いた原因の一つで、大局的に言えば間違いだったと言っていいのではないか、と思っているのだが、しかし、当時の政治情勢の中では、政治改革の実現のためには小選挙区制の導入が最高かつ不可避の手段だったはずだ。
こんな時に安倍総理の進退について言及すると怒り出す方もおられるかも知れないが、私は、いずれ安倍総理も羽田さんの“ひそみ”に倣われたら如何だろうと思っている。
羽田さんは、政治改革にすべてを懸けられていた。
安倍総理がご自分の残りの政治生命のすべてを懸けられるとしたら、やはり憲法改正の発議ではないかしら。
憲法改正の発議の実現を引き換えに、あえて内閣総辞職を選ぶ。
もはや、選挙の顔として安倍総理が通用するようには思えない。
総裁3選の目は殆どなくなっているのだから、安倍総理が残りの任期中に仕上げるべきことはどう考えても憲法改正の発議ただ一つのような気がしている。
周りは解散、解散としきりに囃し立てているようだが、解散しなくても自民党がそこそこの成果を収めるとっておきの手段が、憲法改正発議後の内閣総辞職である。
編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2017年8月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。