北朝鮮が「水爆実験」をやったと発表した。このまま放置すると対米攻撃が可能になり、日米同盟の枠組が変わってしまうが、北朝鮮の攻撃対象になっている日本は「憲法の制約」で主体的に作戦を立てられない。本書はそういう日米同盟の複雑骨折を知るマンガとしては役に立つが、「知ってはいけない」ことは何も書かれていない。
そのコアは「安保条約の裏には、米軍が基地を任意の場所に置ける地位協定(当初の行政協定)がある」という話に尽きるが、これは日米同盟を批判して丸山眞男が指摘したことだ。
行政協定はまた安保条約に根拠づけられています。時間的または論理的には、講和条約―安保条約―行政協定という順序ですが、むしろアメリカ政府の狙いからいえば、行政協定あってこその安保条約であり講和条約なので、そのことは岡崎・ラスク会談による行政協定締結の見透しを俟ってはじめてアメリカ上院が講和条約の批准をとり上げていることからも明瞭です。(「『現実』主義の陥穽」)
彼がこれを『世界』1952年5月号に書いたのは、まさに安保条約の発効したときだった。彼をリーダーとする知識人が「全面講和」を主張したのは、それが本書のいう「対米従属」を決定的にするものだったからである。
それを21世紀になって「隠された日本支配」と称するジャーナリストもお笑いだが、彼の話を真に受けて陳腐な陰謀論が繰り返されるのも困ったものだ。日米同盟はアメリカが一方的に押しつけたものではなく、不平等条約であることを承知の上で吉田茂が選択した体制だからである。
この点で「押しつけ憲法」をいいつのる保守にも問題があるが、対米従属がけしからんというなら答は一つしかない:日米同盟を解消して憲法を改正し、日本が「自主防衛」することだ。ところが本書はそれをごまかすものだから、「国民がみんなで考えよう」という曖昧な話で終わる。
日米同盟の不平等性は、もう一つある。安保条約でアメリカは日本を守るが日本はアメリカを守らないことだ。これは地位協定という「裏の日米同盟」と一体になっているが、安保条約の不平等性は地位協定よりはるかに大きい。それは米軍兵士の「血」を在日米軍基地というカネで買う条約だからである。
このため(著者が錯覚しているのとは逆に)アメリカ政府は日本が憲法を改正して自国の防衛に責任を負うように圧力をかけてきたが、自民党政権は「国民の理解が得られない」という八百長で逃げてきた。このような「複雑骨折」の責任は日米同盟を一面的に批判した丸山などの戦後左翼にもあるが、それを65年後に繰り返す左翼の劣化は深刻である。