日本人の公共心の高さは、諸刃の剣 ⁉︎

司馬遼太郎著「明治という国家」では、日本が明治維新に成功した理由として「江戸時代からの遺産」があると説かれています。大きく分ければ、江戸時代の「多様性」と「民度の高さ」です。

「多様性」とは、江戸時代まではそれぞれの藩が国であり独自の気質や文化を持っていました。
例えば、薩摩は物事の本質をおさえておおづかみに事を行う政治家タイプ、長州は官僚機構をつくり動かし、土佐は野に下って自由民権運動をひろげ、佐賀は着実に物事をやっていく人材・・・といった具合です。
このような多様性が集まって、明治という国家に厚みができたと説かれています。

「民度の高さ」としては、江戸時代の人たちの正直さと公共心を挙げています。
戦国時代は、自分さえ助かればよいという考えでなければ生き残れなかった時代でした。
しかし、永代雇用となった江戸時代では、武士は主君や家に対して奉仕するので公共心が強く、庄屋は村の百姓を守るために公共心を持っていました。庶民も自分勝手なことをすれば閉鎖社会からはじかれるので、いきおい公共心を持つようになったとのことです。

日本人の公共心の高さは、ケント・ギルバート氏も(中国や韓国との比較において)極めて高く評価しています。
自分や家族だけが良ければいいと考える中国人とは大違いだと論じています。

欧米との比較については私にはわかりません。
しかし、東日本大震災の時に被災者がきちんと列を作っていたことや強奪行為等が行われなかったことが高く評価されたことに鑑みると、日本人の公共心の高さは世界に誇れるものだと考えられます。
余談ですが、学生時代に旅行で行ったシャンゼリゼ通りが犬の糞だらけだったのを見て、「フランス人はマナーが悪いなあ」と私は思ってしまいました。

このように、世界に冠たる日本人の公共心が、高度経済成長を支えたことは間違いありません(デービッド・アトキンソン氏は、単に人口が多かっただけだと説いていますが…)。
戦前は地方の篤志家が、貧しくとも優秀な若者を援助して「将来、国や郷土のためになる人間になれ」と言って高等教育を受けさせたという話もあります。日本の政治家や官僚の(公共心に基づく)クリーン度は世界規模で見れば極めて高く、医療従事者の献身的努力によって国民皆保険が維持できています。

ところが、この公共心には負の側面があります。
「滅私奉公」という言葉に代表されるように、公のために私を犠牲にするのが当たり前という社会的風潮が蔓延してしまいました。

私生活を完全に犠牲にして会社や役所のために働くのが当たり前だという考え方が、蔓延しているのです。
前記のように、国民皆保険を支えているのは献身的な医療従事者ですが、内科と外科の勤務医の平均寿命は通常より10年短いという話を聞いたことがあります。中央官庁では長時間残業が当たり前で、民間企業でも過労死が絶えません。

日本人の美徳である公共心が個々の日本人の人生を破壊するという、実に皮肉な現象が起こっているのです。
昨今、政府が「働き方改革」を提唱していますが、江戸時代から綿々と続いた「滅私奉公」の風潮を一気に覆すことは難しいのではないでしょうか?

私は以前から、若年労働者としての移民政策よりも、欧米富裕層のリタイア、セミリタイアの地として外国人を誘致してはどうかと提唱しています。年齢構成は高くなってしまいますが、「人生を楽しむ」ことを第一とする南欧の富裕層等の比率が高くなれば、「滅私奉公」の風潮はずいぶん緩和されるのではないでしょうか?また、富裕層サービスで稼ごうというアクティブな海外の若者が入ってくれば、年齢構成が修正される可能性は大いにあります。

粗野な思いつきなので、制度的・文化的な障壁がたくさん待ち受けていると思います。
ただ、私だけでなく多くの人々の「思いつき的アイディア」が集積されれば、効果的で実現可能な政策が打ち出せるものと考えます。政治家や役人に任せてばかりいるのではなく、みんなで考えてみませんか?

荘司 雅彦
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2017-06-22

編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年9月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。