「ここに地終わり海始まる」は、ポルトガル史上最大の詩人ルイス・デ・カモンエスがユーラシア大陸最西端のロカ岬で詠んだ詩で、私の大好きな詩のひとつです。地中海に面していないポルトガルは東方貿易に不利だったため、この岬から西に広がる未知なる大海原に乗り出しました。15世紀の大航海時代の幕開けです。
いわゆるビジネス書のお決まりのパターンだと、
「陸地が終わってしまったと嘆いてはいけない。船という新しい道具を作って海という新しい世界に乗り出す勇気と柔軟性が必要だ」
と続くのでしょう。
それができる人だけが成功するのだと・・・。
エジプト軍に追撃されたモーセに率いられたイスラエルの民であれば、後ろに逃げ場はありません。
船を作っている暇もないので、大西洋を真っ二つに割る(笑)しか活路は見いだせないでしょう。
15世紀のポルトガルも、もしかしたら同じような状況だったのかもしれません。
このような緊急事態でもない限り、「船を作って海に乗り出す」ことが唯一の選択肢ではありません。
しばらくボーッと海を眺めたり、海岸線を横に歩くのも選択肢のひとつです。
私たち人類は、より豊かな生活を求めてひたすら「前進」を続けてきました。
リスクにチャレンジするアニマルスピリットによって経済発展を遂げ、(少なくとも先進国に住む私たちは)100年前では想像もできなかった快適な生活を享受しています。
現代人が昔の王侯貴族の生活環境をそのまま与えられたとしても、きっと一週間も我慢できないでしょう。
しかし、人類がひたすら前進してきた代償として、かつてあり得なかった天変地異が世界各地で発生しています。
科学的合理主義万能のツケが、次第に回ってきつつあるように感じます。
地球規模の問題に関して、私たち一人一人ができることは本当に微々たることなので、ここでは大風呂敷を広げるのを止めます。
人類全体というマクロの視点を離れ、一人一人の人生というミクロの視点で考えてみましょう。
私たちは、日々前向きに成長することが正しいことだと教えられてきました。
しかし、人生は決して(スタートからゴールまで一直線の)100メートル競走ではありません。
人生はメリーゴーランドのようなものだと歌ったのはビージーズでしたっけ?
一日単位で考えれば、ぐるりと一周回ってまた明日が始まる。一年単位で考えても同じです。
人生というメリーゴーランドに乗りながら、刻々と変わっていく風景を眺め、もし見逃したら次の機会を待てばいい。人生はそういうものではないでしょうか?
陸が尽きたといって嘆いて自殺したり、船もないのに海に飛び込んで溺れ死ぬ必要など毛頭ないのです。
メリーゴーランドのように次が来るまで待ちましょう。
「待てば海路の日和あり」であります。
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年9月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。