「バンドにデモクラシーはいらない!」かつて甲斐バンドのリーダーとして一世を風靡した甲斐よしひろ氏の言葉です。プロのバンドは観客に最高のパフォーマンスを披露するのが仕事。その目的を達するためには、バンドの構成員の意見をいちいち反映してはいられないという趣旨でしょう。
かつて、中小同族会社の経営者から従業員に関する相談を持ちかけられた時、
「社長、会社にデモクラシーはいらないのです。営利企業の目的は営利を追求すること。労働法規で守られている従業員には意思決定権はないのです」
と、回答していました。
上場している大企業だと、株主総会や取締役会という合議機関が存在し、多数決が採用されています(株主総会の特別決議は別です)。そういう意味ではデモクラシーが介在しているとも言えるでしょう。
しかし、経営者(もしくは親族たち)が株主である同族企業においては、事実上経営者だけが最終的意思決定権を持っています。従業員の多数決で経営方針を決めて会社が破綻しても、従業員は責任を負いません。
個人保証をして個人の家土地まで担保に入れている経営者がすべてを失うだけです。
また、大企業であっても、上下のラインは指揮命令系統で成り立っています。
課の方針についての最終的決定権は課長にあり、部下は課長の業務命令に従う義務があります。
活発な意見を述べることは好ましいことですが、決定事項に逆らうのは業務命令違反で懲戒処分の対象になることもあります。
日本の学校教育はとかくデモクラシーを重んじ、みんなで考え、時として「全員一致」にならないと実行に移さないこともあるようです。
学校行事の卒業式に、校長の業務命令に違反して「君が代」の伴奏を拒否する教師がいました。
職場で業務時間内に業務として行う以上、自身の思想信条の自由がある程度制限されるのは当然だということすら、理解していなかったのでしょうか?(業務の必要性に比べて侵害の度合いが厳しすぎる場合は別ですが・・・)。
会社に話を戻すと、先代から番頭役で働いてきた古参の従業員に、二代目経営者が遠慮し過ぎることがよくあります。
強引な古参従業員の場合「そんなことは亡き先代社長の意向に反します!」などと言って、二代目経営者の方針にあからさまに反抗する人もいます。そういったケースでは、二代目経営者と古参従業員の二人に来てもらって、次のように話すようにしていました。
「申し上げるまでもなく、会社に関する最終的意思決定権は株主でもある(二代目)社長にあります。倒産したときに家土地を奪われるのも社長です。○○さん(古参の従業員)は、先代社長の頃から会社のために本当にご尽力いただき、今会社があるのは半分以上はあなたのご努力の賜物でしょう。ですから、これからも社長の良きアドバイザーであって下さい。もし、社長の経営方針に従えないのなら、顧問弁護士の義務としてあなたの懲戒解雇を社長に迫ることになります。社長は決してそのようは事態になることは望まれないでしょうから、どうか私がそのようなことをしないようお願いします」
要するに、私が強硬派の役回りをして法と理を説き、(二代目)社長も従わざるを得ないというふうに持って行きます。
私という共通の敵を作ることで、社長と古参社員との間に感情的な確執ができないようにするのです。
「強硬派の弁護士にはかないませんね~」という会話が、帰路につく二人の間で交わされれば成功ということで・・・。
責任と権限は表裏の関係です。最終的な責任を負っている経営者の方々は、最終的な権限も有しているというとを決して忘れないで下さいね。デモクラシーを採用しても、最終的な全責任はあなた一人だけが負うのですから。
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年9月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。