米朝間で外交ルートを通じて対話が行われているという。ティラーソン米国務長官が北京での記者会見で明らかにした、その直後、国務省報道官は、「対話は難しく、成果をもたらしていない」という趣旨の声明を明らかにした。北側が米側の非核化要求に応じないからだ。非核化と制裁緩和という取引では平壌が快諾することがないだろう。北側の要求は核保有国の認知であり、米軍の朝鮮半島からの撤退だからだ。
と、ここまで書いたところで、バチカンから興味深い記事が流れてきた。ピエトロ・パロリン国務長官がフランシスコ法王批判者、聖職者と対話する用意があると明らかにしたのだ。米朝間の対話ではないが、このバチカンと法王批判派との対話も容易ではない。ひょっとしたら、米朝間の対話よりはるかに困難かもしれないのだ。
その理由を少し説明したい。先ず、フランシスコ法王と法王批判派の対立の経緯を復習する。
事の発端はフランシスコ法王が2016年4月8日、婚姻と家庭に関する法王文書「愛の喜び」(Amoris laetitia)を発表した時だ。256頁に及ぶ同文書はバチカンが2014年10月と昨年10月の2回の世界代表司教会議(シノドス)で協議してきた内容を土台に、法王が家庭牧会のためにまとめた文書だ。その中で「離婚・再婚者への聖体拝領問題」について、法王は、「個々の状況は複雑だ。それらの事情を配慮して決定すべきだ」と述べ、法王は最終決定を下すことを避け、現場の司教に聖体拝領を許すかどうかの判断を委ねたのだ。
ローマ・カトリック教会では離婚・再婚者の聖体拝領は認めていない。夫婦の絆は永遠であり、その結び付きを破った者は神の御心に反するからだ。しかし、フランシスコ法王は聖体拝領を与えるかの最終決定を下さず、現場の司教にその権限を与えたのだ。
法王文書の内容が明らかになると、4人の枢機卿(ドイツのヴァルター・ブランドミュラー枢機卿、米国人レイモンド・レオ・バーク枢機卿、イタリア人のカルロ・カファラ枢機卿。4人目の枢機卿マイスナー枢機卿は今年7月、83歳で死去)は昨年9月、フランシスコ法王に一通の書簡を送り、離婚・再婚者への聖体拝領問題について、「法王文書の内容については、神学者、司教たち、信者の間で矛盾する解釈が生まれてきている」と説明、法王に明確な指針の表明を要求した。4人の枢機卿が法王の意見に批判的な書簡を送ったということが報じられると、バチカン内外に大きな波紋が広がった。
バチカン日刊紙オッセルバトーレ・ロマーノ日曜版はイタリア人の聖書学者ジュリア・チリニャノ氏の「聖職者の中には教会刷新に対し閉鎖的か、敵意を感じる者すらいる。理由は教育不足や反改革時代の古い概念の中で留まり、発展が止まった人々だ。多くの聖職者はフランシスコ法王の刷新路線を理解しているが、わずかな少数派はそれを受容することを躊躇している。彼らは自分の教区で古い世界観、実践の中に留まり、古い言語で多様性のない思考の中に生きている。彼らは伝統への忠実さを敬虔な献身と間違って理解している」と述べた意見を報じた。そして、バチカン内外で法王擁護派と懐疑派の対立が時間の経過と共に先鋭化していった。その対立に7月2日までバチカン教理省長官を務めていたゲルハルト・ミュラー枢機卿が加わって法王批判の声は一層高まってきたわけだ(「バチカン日刊紙、保守派を批判」2017年7月26日参考)。
そこでバチカンのナンバー2のパロリン国務長官が法王批判派に対し、対話を呼びかけたわけだ。同長官は28日、「教会内で対話し、議論し、相互理解を促進することは重要だ」という。
法王批判派が先日、ラテン語の書簡を発表したが、その書簡内容が伝統的ブログを通じて広がってきた。内容は「法王が発表した文書とそれに関連した発言は婚姻、道徳、聖体拝領に対する異端的な立場だ。フランシスコ法王の思想には道徳的真理を相対化するモダン主義とマルティン・ルター(異端者)の影響がある」と強調している。これはかなり厳しい法王批判だ。
同書簡の署名者は平信者や聖職者たちだ。例えば、ドイツの作家マーチン・モーゼバッハ氏、バチカン銀行(IOR)元銀行総裁のエットレ・ ゴティテデスキ氏、カトリック教会根本主義聖職者組織「ピウス10世会」(聖ピオ10世会)代表のベルナルド・フェレー司教だ。最近では、神学者やブルーノ・フォルテ大司教、マルク・ウエレット枢機卿もフランシスコ法王の法王文書を「専門的な観点から見て間違っている」と批判している、といった具合だ。
さて、テーマに戻る。パロリン枢機卿は反法王派と対話し、議論して、理解を深めることができると考えているのだろうか。彼らは専門家であり、その主張は聖書に基づいている。パロリン枢機卿はフランシスコ法王を擁護するためにキリスト教会が長い間、教義としてきた教えを間違いだと言わざるを得なくなる。バチカンのナンバー2が口が裂けても言えない内容だ。時代が変わったといえば、反法王派から「モダン主義であり価値の相対主義だ」と反論されるだけだ。
第3者の立場からいえば、離婚・再婚者への聖体拝領を拒否し続けていけば、教会に通う信者はいなくなる。なぜならば、欧州では3カップルのうち2カップルが離婚する状況だからだ。彼らに聖体拝領を与えないと主張するならば、彼らは教会に背を向けるだろう。信者が去れば、教会財政も次第に厳しくなる。すなわち、離婚・再婚者に聖体拝領を認めようとするのは教会存続の上でも不可欠な対応というわけだ。その意味で、フランシスコ法王は改革主義者というより、現実主義者だといえるわけだ。
もちろん、上記の説明で法王批判派が納得するとは考えられない。彼らにとって教会がつぶれてもその教えを守ることの方が重要だからだ。
ヨハネ・パウロ・2世時代(1978~2005年)、ローマ法王は絶対に誤らないという「法王不可謬説」があった。それを批判した世界的神学者ハンス・キュンク教授は79年、聖職をはく奪され、教会から追放された。ヨハネ・パウロ2世時代だったら、現在の法王批判者たちは即、教会から追放されていただろう。バチカンはやはり時代の流れの中で変わってきているわけだ。
パロリン長官の対話提案は「われわれは批判者に対しても戸を閉めない」ということを教会内外にアピールするための一種のアリバイ工作かもしれない。長官自身、対話で両者の溝が埋まるとは考えていないはずだからだ。対話を通じても相違を克服できない問題があるという事実は生きていく上で忘れてならない点だろう。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年10月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。