自民党を何故離党したのかとよく聞かれます。もちろん離党した理由は複合的なものであって1つというわけではありません。
中でも、将来の政治体制については大きな声で関心事です。安倍1強と言われる巨大与党が全てを飲み込む政治体制ではなく、反対の為の反対の野党でもなく、責任ある受け皿政党としての新党をつくりたいという思いがあったからです。何回かの選挙を通じて、政権交代可能な2つ目の政党に育て、子供たちに真の意味で政権選択選挙を体験させたいのです。2つの政党が切磋琢磨することこそ、政権が交代するからこそ、しがらみや呪縛を排した大胆な改革が出来る土壌をつくれると思うからです。
それは、原発ゼロや予算の無駄撲滅といった私自身が自民党で担当した施策で解決出来なかった課題を解決する上においても重要なのです。俗に政治銘柄と呼ばれるものは、過去のしがらみでメスを入れることが難しいのです。ならば、異なる政権が対処するという方法論があるはずです。
「地盤・看板・鞄」全てゼロで、書生から始まり、秘書、地方議員、国会議員と33年間自民党にいたからこそ、その経験を新党づくり、政党の運営に活かせると思いました。65歳で政治家を辞めると宣言して始めた政治生活なので、残された12年間を自民党1強政治にさせない為にも、将来に責任を持つ改憲リベラルという立ち位置の政党づくりに費やしたいと考えたのです。個別の政策実現ということではなく、政治体制そのものをつくり変えたいと思っています。もちろん、それは私にとっての夢であり、希望であります。
自民党離党は私にとって大きな決断でしたが、立ち止まることなく、前に進みたいと思います。
編集部より;この記事は前衆議院議員、福田峰之氏のブログ 2017年10月13日の記事を転載しました。オリジナル記事をお読みになりたい方は、福田峰之オフィシャルブログ「政治の時間」をご覧ください。