日中がともに政治の季節を迎えている。5年前、2012年のちょうど今頃、北京で特派員をしていたことを思い出す。日中はともに政権の交代期を迎え、混迷を極めていた。そのスキを突くように起きたのが、民主党・野田政権による尖閣諸島国有化をきっかけとした日中対立の激化だ。
中国・胡錦濤政権の激しい対日批判と、それに呼応した大規模な抗議デモが中国の100都市以上で起き、日系企業や日本車に対する破壊行為が相次いだ。中国政府の調査によると、延べ数百万人がデモに参加した。日中のメディアには、「日中関係は最悪」との枕詞が登場した。現地で生活をしている日本の駐在員たちは、こうしたメディアの報道に違和感を持っていた。私も、メディアに身を置きながら、思考停止に陥っている記者、デスクたちになすすべがなかった。
そこでまず、同じ気持ちを共有している新聞・通信・テレビの仲間に呼びかけ、『日中対立を超える「発信力」──中国報道最前線 総局長・特派員たちの声』(2013日本僑報社)を出し、さらに中国で仕事をしている経済関係者約30人を集め、当事者の声を発信する本を出版した。それが『日中関係は本当に最悪なのか?――政治対立下の経済発信力』(2014日本僑報社)である。
2012年は日中の政治構造ばかりでなく、日中関係においても分岐点となる年だった。
日本では前年に起きた東日本大震災に対する政府の失策で、民主党による支持率は急降下し、内部分裂に至った。中国では習近平政権への移行を控え、周永康・元共産党中央政治局常務委員や薄熙来・元重慶市党委書記らによる政権転覆クーデターが発覚し、党分裂の重大危機を迎えた。
習近平本人を暗殺する計画まで用意されていたことが、その後、党内部の会議で報告された。この点については拙著で詳述したので省略する。周永康は長く、公安をはじめとする司法部門と安全部門を牛耳る党中央政法委書記の職にあった。江沢民元総書記の支持を受け、胡錦濤前総書記の権限基盤が弱いのに乗じて、専横を尽くした。軍幹部の暗殺にまで手を染め、最高機密である党幹部親族の資産内容を海外メディアに流した国家機密漏洩罪にも問われた。
日系企業が標的となったデモでは、すでに党の規律調査を受けていた周永康が、抵抗を示すため背後で糸を引いたとする見方が、北京の政界では支持を得ていた。明らかに組織化された破壊行為が各所で見られ、ネットでは、デモの先頭に「便衣」(私服警官)がいたとの書き込みもあった。
中国の政治的混乱が、敏感な領土問題に転嫁され、対立を激化する悪しき構図が出現したのだ。無責任な言論によって双方のナショナリズムが煽られ、ネットを通じて激烈なののしり合いが起き、軍事衝突の聞きさえささやかれた。
多くの日本人は気づいていないことがある。それは習近平が権力を掌握する一方、日中関係は、首脳間の往来は少ないものの、経済や文化の面では非常に安定しているということだ。この間、2013年12月26日には安倍首相による靖国神社参拝があり、中国側は公式に厳しい抗議をしたが、大衆運動には発展しなかった。
民族感情を刺激する「反日」デモは動員力が強く、胡錦濤政権時のように、反政府運動や政治闘争を誘発する危険を伴う。だが、習近平が周永康一派を一掃し、公安部門の実権を掌握したことで、不規則な運動は封じ込められた。
「毛沢東ら強い指導者のもとで反日デモは起きない。反日デモは民衆や党内不満分子の鬱憤をぶつけるはけ口になる側面があるが、習近平は公安部門をしっかり掌握しており、断じてデモを許さない」
当時、公安関係者が私に語った言葉だ。この安定によって、自動車やロボットをはじめ、優れた日本製品は市場で優位に立ち、多数の中国人観光客が日本にあふれている。「中国崩壊論」はすでに世界で市場を持たない。習近平への集権化を、鎖国政策をとった毛沢東時代になぞらえる見方はナンセンスだ。
北朝鮮情勢が緊張化しているが、もし習近平政権が不安定であれば、内部の政治闘争が加わり、さらにリスクが高まっていたに違いない。周永康は2012年8月、金正恩第一書記の側近、張成沢・国防委員会副委員長(当時)が北京を訪問した際、強引に私的面談を求め、「政変を失敗したら北朝鮮に亡命する」と持ちかけたという話を、私は中朝関係者から聞かされたことがある。薄熙来の刑事訴追が必至の情勢で、周永康は身の危険を感じ、北朝鮮への亡命さえ考え始めていたのだ。
権力構造や政策決定が不透明な中国で、ひとたび内部分裂が起きれば、周辺国を巻き込んだ混乱を生む。これは数多くの歴史的事件が証明している。習近平の権力集中をイコール悪であると決めつけてかかる報道は、ただ中国崩壊への期待や願望を繰り返しているに過ぎず、まったく思慮に欠けている。
力を掌握した習近平が目指すのは、中華民族の偉大な復興を実現する「中国の夢」だ。「反日」どころではなく、日本を超越する「克日」「超日」の思想である。中国のGDPは2010年、日本を超えた後、2014年には日本の2倍になり、今や3倍に達している。
しばしば引用されるが、国際経済学者のアンガス・マディソン氏の世界経済長期統計によると、中国のGDPは、1820年代は世界の32.9%だったが、建国当初の1952年は5.2%に後退した。ようやく今、眠れる獅子が真に目覚めようとする時期を迎えている。
隣国として、これをチャンスとみて深くかかわるか、脅威と見て目を背けるか、崩壊を期待して外野でヤジを飛ばすか。その瀬戸際で、真の国益が問われていることに、もっとデリケートであってもよい。
(続)
編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年10月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。