21世紀の「民族の自治権」の行方

スペインから連日、同国東部カタルーニャ自治州の独立問題が大きく報道されている。スペインで今月1日、中央政府の強い反対にもかかわらず州独立を問う住民投票が実施され、開票結果は賛成90.2%、反対7.8%で採択された。マドリードの中央政府は住民投票を違法として警察力を動員し、一部で市民と衝突が起き、多数が負傷した。

▲ボスニアのクロアチア系住民とイスラム系住民間を結ぶ「スタリ・モスト橋」は多民族間をつなぐ象徴的な橋として、小説のテーマにもなった(2005年11月、ボスニアのモスタル市で撮影)

▲ボスニアのクロアチア系住民とイスラム系住民間を結ぶ「スタリ・モスト橋」は多民族間をつなぐ象徴的な橋として、小説のテーマにもなった(2005年11月、ボスニアのモスタル市で撮影)

同国のラホイ首相は21日、同州の自治権を一部停止する決定を下したが、同州の独立派は州都バルセロナでデモを展開し、あくまでも独立を貫く姿勢を崩していない。中央政府がプチデモン州首相らを罷免する方針を決めたことに対し、州独立派は23日、「26日にも州議会を招集して対応を協議する」と発表したばかりだ。ちなみに、スペイン憲法155条では、自治州が憲法に違反した場合、中央政府は必要な措置を取ることができる。

そして22日、今度はイタリア北部ロンバルディア州とベネト州で自治権拡大の是非を問う住民投票が実施され、賛成派が勝利したというニュースが飛び込んできた(同住民投票は法的な拘束力はない)。

カタルーニャ州もイタリア北部の2自治州も経済的には豊かな州だ。カタルーニャ州の経済力はスペイン国民総生産の5分の1を占め、イタリアの場合、北部と南部の「貧富の格差」問題は久しく政治的爆弾だった。北部の州住民は「われわれの稼いだ富が貧しい州の救済に使われるだけで、われわれはその恩恵を受けていない」という不満が強い。ただし、イタリアの場合、カタルーニャ州のような独立は考えていない。あくまで、自治権の拡大だ。

冷戦終焉後、旧ソ連を構成してきたカザフスタンやウクライナなどの共和国が次々と独立していった。旧ユーゴスラビア連邦でも同様だった。経済的に豊かだったスロベニアやクロアチアがベオグラード中央政府からの独立を宣言。ボスニアの場合、セルビア系、クロアチア系、そしてイスラム系の3民族による激しい民族紛争が起き、多数が犠牲となったばかりだ。あれもこれも民族の自治権、独立を勝ち取るという名分があったため、各民族は多大の犠牲を払ったわけだ。

目を中東地域に向けると、独自の国家を有さない最大民族といわれるクルド人が独立を求め出した。シリア、イラク、イラン、トルコなどに散らばったクルド民族の総数は3000万人から4000万人と推定される。イラク北部のクルド自治区で先月25日、独立を問う住民投票が実施されたばかりだ。それに対し、バグダード中央政府は武力衝突をも辞さない決意だ。キルクークに大油田を抱えているクルド自治区を失えば、イラク経済にも大きなダメージとなるだけに、バグダード政府は譲歩出来ない。

ちなみに、カタルーニャ自治州の場合、独立機運は常にあったが、ここにきて独立派を勢いづけた背景には、国民投票を通じて欧州連合(EU)離脱を決定した英国の影響が大きいだろう。英国の離脱派の場合、ブリュッセル主導のEUから決別し、英国国民の自治権の回復を意味するからだ。

「民族の自治権」は第一次世界大戦後の1918年以後、国際政治の重要なテーマとなったが、ナチス・ドイツのように、民族の自治権を悪用するケース(ズデーテン・ドイツ人問題)も出てきた。第2次世界大戦後、国連憲章で民族の自治権は明記された。それ以後、多くの民族が自治権を掲げ、独立したが、同時に、多くの紛争をもたらした。

ハーバード大学の国際政治学者ジョセフ・サミュエル・ナイ教授はオーストリア日刊紙プレッセに寄稿し、民族の自治権の歴史を振り返りながら、「単一民族から構成された主権国家は今日、世界の10%にも満たない。民族の自治権尊重を重要な道徳的原則と受け止めることは破壊的な結果をもたらすことにもなる」と警告を発している。

他民族に弾圧され、搾取されてきた歴史を持つ民族にとって、民族の独立は夢だろうが、多数の民族が共存し、交流することができる時代を迎えている。民族の政治的、経済的、文化的自治権を認めることで多様な文化を誇る主権国家が生まれるチャンスが出てきた。

カタルーニャ自治州の場合も民族の独自の文化を発展させ、スペインに大きな多様性をもたらす機会を無にすべきではないだろう。「カタルーニャ自治州」はスペインの国民として、そして「スペイン」はEUの一員に、そして「EU」は国際連合のメンバーとして、共存共栄の道を模索していくのが最善ではないだろうか。当方にとって、バルセロナのないスペインは考えられないのだ。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年10月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。