世界は全体主義に向かうのか?

アーレント著「全体主義の起源」では、”反ユダヤ主義”が生まれたのは「国民国家」が誕生したことがきっかけだと説かれています。

「国民国家」とは、近代市民革命によって「国民主権」が成立した時期に出来上がったもので、ネイション・ステイトの訳語です。ここでの「ネイション」は「国民」というよりも、文化、言語、宗教、歴史を共有する人々、つまり「民族」という意味合いが強いのです。

つまり、「単一民族国家」と訳した方が理解しやすい概念です。

それ以前から、欧州ではユダヤ人は差別されていました。
シェークスピアの「ベニスの商人」を読むと、ユダヤ人に対するひどい差別的台詞に不快感を覚えます。キリスト教徒でないユダヤ人、金貸しのユダヤ人として蔑まれていた訳です。

しかし、アーレントの指摘する”反ユダヤ主義”は、「単一民族国家」の成立により、同じ国家内に住んでいる異分子であるユダヤ人を排斥することから始まったのです。

同一民族国家を越えたネットワークを持つユダヤ人、金貸しで裕福になったユダヤ人は、(従来の宗教的蔑みとは別の)国内の異分子として、時に憎悪の対象ともなりました。異分子の存在によって、自分たちの生活が脅かされている、自分たちの富が吸い上げられていると考える向きもあったようです。

昨今、欧州で右派勢力が台頭してきているのも、同じような構図ではないでしょうか?
欧州の各地で、移民や難民によって生活が脅かされていると感じる人たちが増えています。
英国では、北欧からの移民医師の増加によって英国民である医師たちの地位や収入が脅かされているそうです。
スコットランド独立運動やスペインのカタルーニャ州の「独立宣言」も、単一民族で国家を作ってよそ者を排除しようという考えに基づいているのかもしれません。

もし、日本が移民を受け入れるようになれば、欧州各国どころの騒ぎではないでしょう。
従来から欧州各国にはかつての植民地からの移民が多数存在しており、それなりの多様性がありました。
その欧州各国の国民たちが多様性に「ノー!」と突きつけ始めたのです。多様性に乏しい日本人が耐えられるとは到底思えません。

米国でも、不法移民によって職が奪われているという不満を受けてトランプ大統領が登場しました。
このままいくと、世界中で排外的な思想が強くなり、やがて全体主義的思想が生まれてくるのではないかと危惧しています。

多様性に寛容な共同体国家に戻るには、どうすればいいのでしょう?ご教示いただければ幸いです。


編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年10月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。