中国における反腐敗キャンペーン、そしてその背景にある政治闘争のメディア論を考えれば、習近平政権1期目の大きな変化を指摘できる。
5年前、習近平政権が発足したばかりのころ、反腐敗キャンペーンの突破口となったのが周永康・元常務委員や令計劃・元党中央弁公庁主任、さらには元中央軍事委副主席の徐才厚、郭伯雄らに対する調査だった。前例のない高位高官の摘発には、当事者たちによる習近平の暗殺計画にはじまり、既得権益勢力によるさまざまな抵抗があった。習近平や温家宝ファミリーの資産が米国の有力メディアに漏れたのも、その抵抗によるものだった。
だから主要人物の汚職調査にあたっては、米国のネットメディアや香港メディアを通じて、犯罪行為の一部をリークする世論工作が行われた。特に、「常務委員には刑が及ばない」との不文律が長年にわたって存在し、かつ党中央政法委書記として公安・安全部門を牛耳っていた周永康の調査には、細心の注意が払われた。周辺関係者への大掛かりな調査、排除が展開され、執拗な批判記事が大量に流れ、正式調査が公表された時点ですでに有罪が確定したかのようだった。
中国メディアは、数行足らずの公式発表や海外メディアの初報を待って、大量の続報を用意した。当時、私は傍らで彼らを見ていて、記者として「特ダネ」を封じ込められた無念さに同情した。国情によるやむを得ない境遇だった。だが総じていえば、反腐敗キャンペーンにおいては、秘密保持よりもむしろ、攻守合い乱れた過剰な情報合戦が際立った。
そして5年がたち、大きく様変わりした。厳格な秘密保持が徹底し、ある日突然、前触れもなく高官が摘発されるケースが目立つようになった。
顕著だったのが、7月15日、前触れもなく、突然の一報で重慶市党委書記を解かれた党中央政治局員、孫政才のケースだ。若くして農業相や吉林省党委書記の要職を歴任し、次世代のホープと目されただけに、全く意外だった。7月24日には、「重大な規律違反」での調査が決定され、9月29日には、巨額の賄賂を受け取るなどの重大な規律違反があったとして、党籍剥奪と公職追放のうえ、司法手続きが始まった。
地方のトップであれば、少なくとも半年は周辺を含め事前調査が必要だ。ましてや重慶市党委書記は政治局員である。驚くほどの秘密保持とスピード処理だ。通常、摘発後は反腐敗の宣伝と見せしめを兼ね、犯罪の詳細がリークされるのだが、本件は完全にかん口令が敷かれ、なぜ彼が標的にされたのか、いまだに不明だ。
もう一例ある。房峰輝・前統合参謀部参謀長と張陽・中央軍事委員会政治工作部主任が8月末、規律違反の疑いで調査を受けていることが、米国や香港メディアの報道で発覚した。房峰輝はその2週間前、北京で、北朝鮮の核・ミサイル問題で訪中した米軍のジョセフ・ダンフォード統合参謀本部議長と会談したばかりだ。中国国防省は同月26日、不意打ちのように、通常ニュースの中で、房峰輝のポストが後任に替わっている事実を発表しただけで、その他の詳細は伏せられていた。
房峰輝は4月にも習近平の訪米に随行し、6月にはワシントンでの米中安全対話でジョセフ・ダンフォード統合参謀本部議長と会談している。重要な軍の業務をこなしながら、何の兆候をもうかがわせない隠密調査だ。
徹底した秘密保持による腐敗調査は、この5年間で習近平がほぼ権力を掌握し、情報管理も手中に収めたことを如実に物語るものである。
だからこそ、19回党大会の最高指導部人事には、多くの党幹部も「習近平に直接聞いてみないと何もわからない。彼がひとりで握っている」と言い続けた。事前にリストを作って回覧し、周辺の意見を聞きながら決めるという“民主的”手法は、習近平のスタイルとは縁遠い。重要事項については、一人一人から意見を聴取するが、すべてを見通しているのは自分だけ、という情報統制を敷いているはずだ。これが最も有効な秘密保持のテクニックなのだ。
第19回党大会後、最初の中央政治局会議が今月の27日開かれ、党中央による「集中統一指導」を党指導の「最高原則」と定めた。総書記への集権化を意味する「集中統一指導」は、これまで「政治規矩(政治の掟)」などと呼ばれてきたが、とうとう「最高原則」にまで高められた。
党大会で改正された党章(党規約)の大綱にも、「二つの100年目標」を達成するため、党が堅持すべき五つの基本要求の一つとして、
「習近平同志を核心とする党中央の集中統一指導を厳格に維持し、全党の団結統一と行動の一致を保証し、党の決定を迅速かつ有効に徹底執行することを保証する」
の一文が挿入された。と定めた。
胡錦濤は2002年の第16回党大会で、江沢民を引き継いで総書記に就任したが、、江沢民が自派勢力の温存を図るため常務委のメンバーを7人から9人に増員したため権力基盤が脆弱だった。同大会では党規約が改正され、「重大な問題に属するものはすべて集団指導、民主集中個別協議、会議決定の原則に従って、党の委員会で集団討論し、決定を下さなければならない」との規定が盛り込まれた。
これは、鄧小平の教えを受け継いだ江沢民の持論だった。党規約は会議の決定について多数決の原則を導入しており、政治局や常務委の会議招集権を持っている総書記も、重要事項の決定については他の常務委同様、一票の権限しか与えられていない。江沢民は「集団指導」の名のもとに、胡錦濤の手足を縛った。
毛沢東時代、過度の権限集中から個人崇拝を招き、国民に深刻な被害を敷いた苦い経験がある。そこで鄧小平は集団指導体制の規範化を進めた。毛沢東ほどのカリスマ性を持たなかった鄧小平が、権力のバランスによって政権を運営する政治力学の結果だったが、経済改革の側面からも、計画経済から市場経済へと権力の分散を進める必要があった。
だが、最高指導者の権威が薄れるにつれ、集団指導体制の中で総書記の権限が弱体化していくのは必然だった。強力な後ろ盾を持たない胡錦濤は、「無作為の10年」との評を得ることになった。権力の弱体化が改革を停滞させ、社会矛盾を放置したとの認識が強まり、党内外で強いリーダーの待望論が浮上した。こうして紅二代の衆望を担う習近平政権が誕生した。
習近平は常務委員を9人から7人に削ったばかりでなく、今回の党大会で、「集団指導」から「集中統一指導」への移行を実現させ、集権化を徹底させた。それが腐敗摘発の手法や人事の進め方に表れている。「新時代」はこうした歴史の反省から生まれた発想だ。それが現実の新時代に合致するかどうか。これからの5年間がその成否を占うことになる。これまで何度も繰り返されてきた中国崩壊論や中国脅威論は、そろそろ卒業した方がいい。
(完)
編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年10月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。