9月はイラクのクルド自治区、10月はスペインのカタルーニャでそれぞれ政府は独立を望んで住民投票が実施された。法治国家のスペインでは法と対話によって問題の解決を図ろうとした。一方のクルド自治区は中東という紛争が絶えない地域でのこと、今回も最後は武力に訴えた。
イラク軍がクルド自治区に武力介入したのだ。クルド自治区が占拠していたキルクークをイラク軍が奪還して、クルド人の独立への悲願は遠ざかった。
キルクークはもともとイラクの領土であったが、イスラム国が占領していた。それをクルド自治区の軍隊ペシュメルガが3年前にイスラム国を追放して占拠したのである。キルクークは豊富な油田地帯である。そこで産出される原油はクルド自治区が産出する原油の50%を賄うまでになっていた。それを主にトルコに送り、そこから輸出されていた。
クルド自治区は独立を望み、イラクを含め周辺諸国が反対していたにも拘わらず独立の為の住民投票を実施した。結果は独立を望む票が圧倒的勝利を収めた。しかし、それはイラク軍の武力攻勢を招くことになり、クルド自治区はキルクークの油田と、40%の領土も失うという結果となった。油田地帯で働いていたクルド人労働者とその家族ら10万人がイラク人からの報復を恐れてそこから退去したという。
何故、今、住民投票を実施することを決めたのか?バルザニ議長が支配しているクルド自治区は、米国やフランスを含め世界の80か国が独立を支持していると表明していた。しかし、クルド人以上に、クルドの独立を望んでいたのはイスラエルであった。
シリア紛争が近い将来終結すれば、イランとその分隊ヒズボラはイスラエルへの攻撃を強めて来る。そうさせないようにするためには、イラクとシリアで紛争が継続することである。その発火点として役に立つのがクルドの独立であった。
独立することによって、クルド自治区は周辺諸国のクルド民族と連携してイラン、イラク、シリアそしてトルコに及ぶ中東地域を不安定にさせる要因を作ることが出来る。そして、バルザニ議長はイスラエルの諜報機関モサドに協力しているという関係もあって、イスラエルのミサイルをそこに配備して、特にイスラエルの宿敵イランを牽制することが出来るとした。このようにイスラエルは望み、バルザニ議長に独立への意欲をより一層かき立てた。また、イスラエルから20万人のクルド人を移住させて行政面での協力をさせることもネタニャフ首相はバルザニ議長に約束したという。イスラエルの衛星国の建設である。
また、ロシアもクルド自治区の独立には反対はしていなかった。しかも、クルド自治区の首府アルビールには2007年からロシア領事館を設けていたほどである。ロシアの石油公社ロスネフトがクルドで産出される安価な原油の輸入取引に関心を示し、また同地区との貿易取引の拡大を目的としていたからである。
ロシアがクルド自治区の独立には反対していないということから、ネタニャフ首相はプーチン大統領にイスラエルから戦闘機をクルド自治区に送る為のシリアの空路の利用を要請したという。それが中東の「Al-Monitor紙」の記者マクシム・サッコフ(Maxim.A.Suchkov)が10月21日のツイッターで明らかにしたのである。しかし、ロシアはイスラエルがこの問題に参入することは良い考えだとは思わないとして、その要請を許可しなかったことも明らかにした。
また、10月21日のロイターは、ネタニャフ首相が米国、ドイツ、ロシア、フランスに向かってクルド自治区が逆境を回避できるように支援の為のプレッシャーを掛けていたことを明らかにした。
米国はクルド自治区の独立は望んでいるが、その為には時期尚早であると判断していたようである。それを証明するかのように、バルザニ議長のライバルだったタラバニ前議長の息子ラフェル・タラバニが米国と英国と独立の為の別の策を交渉していたことを『El Pais』の取材で明らかにした。それは「2年の期間を掛けてイラク政府と独立の為の交渉する。そして、それが成就しなかった場合は独立の為の住民投票を実施する」「その場合は、国際的な支援も受けることが出来る」と約束されていたことを同取材で明らかにしたのである。しかし、クルド自治区を現在統治しているバルザニ議長は2年間も待てなかったのである。その結果は、上述したように、イラク政府の前に、40%の領土と50%の原油産出量の喪失であった。
1992年にクルドが自治領となってからバルザニが率いるクルド民主党(PDK)とタラバニが率いるクルド愛国党(PUK)の間で対立していた。双方の4年間の闘争で3000人の犠牲者が出ている。2002年に和解し、米国と協力してサダム・フセイン打倒に動いた。2005年に米国の仲介でイラクで憲法が制定され、バルザニは自治区の議長になり、タラバニはイラクの大統領になった。タラバニが亡くなった後、ラフェル・タラバニがクルド愛国党のリーダーとなっている。
今回の結果を踏まえてバルザニは辞任すべきかという同取材者からの質問に、ラフェル・タラバニは「バルザニ自身が決定すべきものだ」と答え、「ある会議の席で、彼は住民投票が成功裏に終われば、それは住民全員の勝利だ。失敗すれば、それは私の責任だ」と言ったことに触れ、「言ったことを実行するのであれば、それは敬意に値する」と述べた。
その通り、バルザニ議長は辞任することを明らかにした。
それは、またイスラエルの「クルド共和国」からイランを牽制するというプランがとん挫したことを意味するのであった。