政治の関心が低い「がん対策」後押しするのは患者や家族の力

今、オヘア空港にいて、東京に向かうところである。9月の終わりから、日本癌学会、日本癌治療学会と続いたが、今回は高松宮妃癌シンポジウムに参加するためだ。シンポジウム終了後すぐにシカゴに戻るが、今月末には、再度「がん患者大集会」(1126日午後1時より、東京医科歯科大学)で講演するために、東京に向かう。体には厳しいが、がん患者さんに訴えたいことがあり、講演をお引き受けすることにした。 

医学・医療は「目覚ましい」の一言では語れないくらい急速に進歩している。現在のシークエンス技術の基盤となっているサンガー法が報告されたのが今から40年前の1977年である。そして、30年前の1987年に私が人類遺伝分野に進出するきっかけとなったVNTRマーカーを報告した。これは米国でDNA指紋が犯罪捜査に利用されるきっかけともなった。

これによって、私が米国FBIから就職話を持ちかけられたことは以前にも紹介した。この話は、家族がマフィアに狙われるのが怖くて丁寧に辞退した。そして、この頃、自動DNAシークエンサーの試作機がユタ大学の私の隣の実験台に持ち込まれた(まだ、アクリルアミドゲルを作成しなければならなかった)。30年前には1000塩基を決定することさえ、一苦労したものだ

また、同じころに、世界で初めてPCR法が発表された会場に居合わせた。私は偶然にも、米国人類遺伝学会の、その発表会場で照明係をしていた。こんな簡単な原理でDNAが増やせるのかと呆然としたことを鮮明に覚えている。私は、1980年代の遺伝子研究の歴史の生き証人でもある。人間の運命とは不思議なものだ。

そして、20年近く前に、細い管(キャピラリー)を利用したシークエンサーが開発され、DNAの解析が格段に速くなったが、10年ほど前に次世代シークエンサーが開発され、解析能力は一気に1000倍高くなった。人類を月に送るアポロ計画よりも先が見ないと考えられていたゲノムを解読することが、いとも簡単にできるようになったのだ。 

免疫療法の世界でも、がん特異的抗原を利用したワクチン療法が発案されたのが1990年、シカゴ大学のシュライバー教授が変異抗原(いまは、ネオアンチゲンと呼ばれている)の有用性を示したのが約20年前だ。これらは、患者さん自身の免疫能力を高めるもので、今後、急展開すると私は期待している。

今、ネオアンチゲン療法が実用化されつつあるのは、DNA解析技術や情報解析技術が進歩して、がん細胞で起こった遺伝子異常が容易に安価で見つけることができるようになったことが大きい。リキッドバイオプシーを利用した診断、ネオアンチゲン療法、T細胞受容体導入T細胞療法と世界の動きは目を離せないほど速いのだ。 

今日は助けられない命が、明日になれば助けることができるかもしれないのだ。がん患者さんや家族は、日本国内でそれが可能になるのを願っているのだが、「がん研究にはすでに多額の研究費がつぎ込まれている」と平然と批判する研究者が少なくないのが実情だ。こんな話を聞くたびに「お前はアホか」と心の中で叫んでいる。日本人の二人に一人を超える人が罹患し、三人に一人が亡くなる病気の研究費がこんなレベルでいいはずがない。研究者は限られたパイの取り合いをするしか能がないのか、自問自答して欲しいものだ。

と、私が叫んでも何も変化は起こらない。では、誰が変化を引き起こせるのか?答えは明白だ。患者さん自身やその家族に決まっている。がん患者、がんサバイバー、その家族を合わせると数十人の議員を当選させるだけの力があるはずだ。がん対策に真剣に取り組む人を国会に送り込めばいい。オバマ前大統領は、2008年の選挙で、がんと闘うためのオバマバイデン案を掲げた。日本の政治はがん対策にあまりにも関心が低い。 

メディアが、もっと患者さんや家族の声を届けるように、がん患者さんや家族が結束していることを示すのが重要だ。誰も「排除」する必要などない。みんなが一体化することで世の中を変えられるはずだ。是非、1126日午後1時に東京医科歯科大学に結集して欲しいと願っている。患者さんの熱気がなければ、絶対に何も変わらない。会場が閑散としていては、イバンカさんでも登場しない限り、メディアに気持ちが伝わらない。私も単なる演者ではなく、がんで母親を亡くした家族の一人として、大きな声を上げてみたい。そして、このブログを読んだ方は、是非、周りの方に声をかけて欲しい。多くの方が結集すれば、新たな一歩にすることができると信じている。

(追伸)飛行機に乗る直前、テキサスの教会で銃乱射で30人近くが射殺されたとのニュースが目に飛び込んできた。銃社会の暴走が加速化している。空港は大丈夫と思うが、落ち着かない気分だ。


編集部より:この記事は、シカゴ大学医学部内科教授・外科教授、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のシカゴ便り」2017年11月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。