「国賓訪問+」トランプ訪中のメディア雑学

加藤 隆則

メディアの関心はAPECに移ってしまったが、習近平総書記とトランプ大統領の米中首脳会談には、もう一つ、書き残さなければならないことがある。

メディアはある事件を歴史として記憶にとどめる重要な機能があるが、同時に、市場の欲求を満たすため、新しいニュースで上書きしなければならない宿命を負う。技術の進歩はビッグデータを作り出し、あたかもメディアによる記憶の機能を拡大したかのように見える。だが、AIに対する過度の依頼は、人間自身の記憶を弱め、人は上書きばかりに奔走するようになる。飽くなき欲求が、自分とは何かを忘れさせる。

歴史の深みを読み解く能力は衰え、目先のことに振り回される。握手の際に笑顔だったとか、仏頂面だったとか、だれにでもわかる現象を取り上げた、底の浅い報道がこうして生まれる。

だから一つ一つのニュースにこだわる必要がある。今回の「国賓訪問+」によるトランプの訪中について、次の授業でも取り上げようと思っているのが、メディア論からの分析だ。

SNSを巧みに使って大衆人気を得たトランプだけに、訪中先からの情報発信が注目された。日本でも話題になったが、一つは、トランプが孫のアラベラ・クシュナーちゃん(6つ)の動画を習近平に見せたニュースだ。動画の中で、彼女は白いチャイナドレスを着て、達者な中国語で歌や詩を披露した。習近平が彼女の中国語を「Aプラスだ」と持ち上げ、晩餐会で上映されたうえ、さらに、たちどころにネットにも流れ、大きな反響を呼んだ。十分にお膳立てがされたに違いない。

何度もやると政治利用のそしりを受けかねないが、「国賓訪問+」に対する答礼としては、これ以上のものはないほどの効果を上げた。動画の発信力を見せつけた巧妙な演出だった。私の授業でも、映像を用いると、格段に学生の食いつきがよくなる。新聞社も文字だけでは幅広い読者を得られず、動画の発信が不可欠な時代だ。米中両首脳は、見事にメディアの特徴を使いこなした。

もう一つは、お得意のツイッターだ。中国ではツイッターやフェイスブックは遮断されているが、VPNを使ってファイヤーウォール乗り越えることは学生でもやっている。米大統領には子どもだましの規制でしかない。

8日の故宮博物院での歓待には、「メラニアと私は決して忘れない」と感謝を述べ、9日、人民大会堂前での歓迎式典では「本当に記憶に残る、印象的な式典だった」と讃辞を送った。1日何万人も来場者のある故宮を完全貸し切りにし、トランプ夫妻2人だけのために茶会を持ち、京劇を上演した。いくらスーパーパワーの大統領でも、皇帝並みの待遇を受けて感激しないはずはない。ツイッターの発信を見越した中国側のメディア戦術である。

中国外務省の華春瑩報道官が定例記者会見で、「トランプ米大統領のツイッター投稿は中国では違法なのでは?」と問われたときの答えが面白い。

「中国の人々は外部とコミュニケーションを取る十分な手段があり、その方法が各種各様だというだけだ。たとえばある人は微信(ウィー・チャット)を、ある人は微博(ミニブログ)を使い、携帯電話も、ある人はアップルを、ある人は華為(ファーウェイ)を使い、みんな十分な手段があって外部とコミュニケーションを取っている」

直接回答を避けた逃げの表現だが、要するに、自分たちが外交の手段として利用した以上、堅苦しいことは言わないということだ。一方、尋ねた記者の方は、冗談交じりとはいえ、非常にレベルの低い質問だが、そうでもしないと突っ込みようがないほど、周到なメディア対策だったということであろう。

最後に、重要なポイントを指摘したい。故宮博物院は先月から、仮想現実(VR)で「養心殿」を参観できるイベントを実施している。同博物院では引き続き先端科学技術を駆使し、参観サービスの多様化を図る方針だ。国を挙げての科学振興で、様々な分野でバーチャル技術が進化している。

だからこそ、習近平夫妻が直々に案内し、トランプ夫妻が直接足を運んだことの重みがある。繰り返しのきかない経験、コピーのできない時間と空間は、人に上書きのできない記憶を残す。特に習近平がトランプを故宮文物医院に招き、古い時計の修理技術を参観した光景は目を引いた。時間、歴史の重みを体感するには最適の設定だったに違いない。

中国新聞より引用

メディア雑学切り口からも、非常に興味深いトランプ訪中だった。仄聞するに、日本では巨大メディアの大幹部だちが、喜々として首相から会食の招きを受け、権力にすり寄ることを恥とも思わない風潮があるという。残念ながら、こうした風土からは、まともなメディア論の切り口が見つからない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こういうことを言うと決まって、「親中派」だとか、「売国奴」だとかレッテルを張りたがる人たちがいる。だが、戦時中、安易な二分法が理性の声をかき消し、国と国民を誤った道に導いた苦い経験を、日本のメディア史は教訓として残している。自分の国を厳しく見るのは当たり前のことだ。私は特定の組織や利益を代弁する立場にはなく、裏も表もなく、自然に湧き出出てくる言葉を吐いているに過ぎない。

裏を見せ 表を見せて 散るもみじ  良寛

咲くを見せ 散るをも見せて 葉が残る 酒仙


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年11月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。