江川投手問題で考える司法審査の限界

荘司 雅彦

先般コンビニで買った「江川と西本」(森高夕次原作、星野泰視作画 小学館)を読んで、江川投手が読売ジャイアンツと契約を結んだ「空白の一日問題」がようやく理解できました。

事件当時は学生だったので、世間で大騒ぎをしていた割にはさほど関心がありませんでした。

同書によると問題の核心は、前年のドラフト会議で江川投手を指名したライオンズの交渉権が「翌年のドラフト会議の前々日で消滅する」という野球協約を利用して、ドラフト会議前日に巨人が江川投手と契約を締結したことです。

なぜ「前々日に交渉権が消滅する」と野球協約に書かれていたかというと、遠方に出ているスカウトがドラフト会議当日に東京に戻れるよう配慮する趣旨だそうです(前日遅くまで入団交渉をしていると、ドラフト当日に戻れなくなる恐れがあったとのことで)。

それはさておき、(あくまで漫画の中で知ったことですが)巨人は法廷闘争も辞さず、江川投手の「地位保全の仮処分申請」を出すと示唆していたとのことです。

弁護士である私としては、「地位保全の仮処分申請」という言葉に敏感に反応し、頭の中でいろいろと思いを巡らせました。

「部分社会の法理」という概念をご存知の方もおられると思います。

例えば、宗教法人内部の紛争で「私が教祖だ」という確認を裁判所に求めても、裁判所は司法判断ができません。

宗教上の内部問題で司法判断に馴染まないからです。

同じように、大学で不可(D)を付けられた学生が裁判所に訴えても、大学内部の学問上の問題として司法審査はなされません。

もっとも、この「部分社会の法理」にも例外があり、一般市民法秩序に関連する場合は司法審査が及ぶとするのが通説です。

先の例でいえば、宗教法人の理事としての地位を解任されたとか、学生が退学処分になったとかいう場合です。

ぶっちゃけて言えば、内部の基準で争っている間は司法審査はできないが(宗教上の教義や学生の成績なんて裁判官は判断できませんよね)、解任されたり退学されたりして(報酬や大学生としての身分を失うなど)社会的に甚大な被害を受けた場合には裁判所は門戸を開くという考えです。

先の江川投手事件で「地位確認の仮処分」というのが本当に必要なのかと私が疑問を抱いたのはこの点です。

野球協約というのは日本プロ野球機構の内部規範であって、「部分社会の法理」によって司法審査は及ばないでしょう。

江川投手と巨人の入団契約は、純然たる民事上の契約で有効です。

有効である以上、「地位確認の仮処分申請」の要件である「保全の必要性」はないのではないかと。

法的な入団契約は有効なので、江川投手は巨人の選手となることができるからです。

しかし、江川投手を試合に出場させるか否かは日本プロ野球機構内部の問題なので、巨人が機構に属している以上、「江川投手の公式戦への出場を認めない」という機構の指示には従わなければならないでしょう。

それに対して巨人が司法審査を求めても、機構内部の問題(つまり「部分社会の法理」)として裁判所の門戸は開かれないものと、私は考えています。

いずれにしても、この事件の最大の被害者は江川投手です。

大学を出たばかりの若者(しかもスポーツ選手)に、こんな面倒なことがわかるはずがありません。

先の漫画でも書かれていたように、周囲の大人たちに言われるがままにサインしただけなのに、メディア等では一気に悪者扱いされてしまいました。

あれから約40年、巨人一強の時代は終わり、殆どのドラフト指名選手が指名した球団に入団するようになりました。

こうなると、ドラフト制度は全球団が共謀して契約金の金額を不当に抑制するものであり、独占禁止法違反だというのは以前書いたとおりです。

プロ野球のドラフト制度は独禁法違反だ ⁉︎


編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年11月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。