大阪の恥
22日、サンフランシスコ市は慰安婦像を正式に受け入れた。慰安婦像には、「性奴隷」という但し書きまで付いており、サンフランシスコ市が虚偽の歴史を吹聴する格好になっている。このような悪意に満ちた団体とは、もはや信頼関係が断たれたとして、吉村大阪市長(橋下氏の後継者)はサンフランシスコ市との姉妹都市提携を解消することを決めた。当然のことだ。
しかし、何と、大阪自民党市議団は提携解消に反対し、同日、吉村市長に申し入れをしている。これは大阪の恥だ!これほど恥さらしなことはない。
ここで、私、筆者の立場を少し説明しておく。私は大阪自民党の一派で、2015年の大阪府議選に自民党から新人として立候補したが大阪維新に敗れた。現在、モノ書きをしている。そもそも、大阪自民党には好意的な立場だ。しかし、提携解消に反対するとは、全く理解できない。
大阪自民党市議団は慰安婦像の設置受け入れには反対の意を表明している。それはよい。しかし、姉妹都市提携は続けるべきと言っている。
反対の理由
「平成29年11月22日、吉村市長殿」ではじまる大阪自民党市議団その他による「申し入れ書」が市長に提出された。そこに、提携解消の反対の理由が書いてある。
その理由を要約すると、こうだ。主に三つのポイントがある
①地方自治体の行為によって、政府の外交交渉に影響を与えてはいけない
②提携解消で、中国・韓国系の団体の思惑に嵌まる
③姉妹都市の交流を更に進め、対話で解決すべき
なぜ、姉妹都市提携解消が政府の外交交渉に影響を与えることになるのか、意味不明だ。地方自治体が外交問題に政府を飛び越えて口を出すな、ということを唱えている自民市議がいる。川嶋広稔副幹事長、元政調会長だ。検討違いも甚だしい。姉妹都市提携・解消は外交ではない。国際法上、外交と認められるのは、国家(国・政府)が対外的に行う行為のみである。議員外交や民間外交という言葉があるが、それは法的に外交とは見なされない。
姉妹都市提携というのは信義則で成り立つ「お付き合い」のようなものに過ぎない。信義則が破られたから「お付き合い」をやめると言っている。どうして、これが外交問題に口を出すことになるのか、ましてや、「政府の外交交渉に影響」などするはずがない。外交というのはそんなヤワなものではない。
呆れた屁理屈
因みに、上記「申し入れ書」の大半を書き起こしたのは前出の川嶋市議である。川嶋市議は学識が豊かで、現在の自民党市議団の事実上の頭脳の役割を担っている。市議団の中で、こういう文章や論理を作ることのできる人間は彼しかいない。川嶋市議は自身のFacebook上で、以下のように述べている。
菅官房長官は「地方自治体の首長(吉村市長のこと)の発言でありますので、国としてはコメントするのは差し控えたい」と発言されており、あくまでも外交問題として政府の責任で取り組んでおり、地方が口を出すものではないという意味の政府見解と考えるべきです。
こういう理屈を我田引水、牽強付会という。官房長官は、国は国、地方自治体は地方自治体、それぞれの判断があると言っているだけで、「地方が外交に口を出すな」などとは一言も言っていない(出すとも思ってないだろう)。そもそも、地方自治体は独立した機関・機構であり、国が上だとか地方が下だとか、そんな位置付けはどこにもない。各自治体が自らの領分において、自分たちの意思を表明する、そのことに何の問題があるというのだろうか。
大阪人そして日本人の憤怒
「申し入れ書」理由②の「提携解消で、中国・韓国系の団体の思惑に嵌まる」という説も実に滑稽だ。川嶋氏は以下のように述べている。
闘うべき相手は、米国や国内の同志ではなく中国、韓国です。
吉村市長は姉妹都市提携の解消をすると言っているだけで、誰も中国や韓国と闘うなどとは言っていないし、闘いになるはずもない。「闘うべき相手」などとはこれまた、穏便な話ではない。なぜ、そんな論理の飛躍になるのか。
朝日新聞や毎日新聞は、姉妹都市提携解消が、市民が築き上げて来た「草の根交流」を水泡に帰させると批判している。たしかに、大阪市民もサンフランシスコ市民も損をする部分があるだろう。
しかし、信義則を平気で破った相手に対し、ヘラヘラと「交流を更に進め、対話で解決すべき」などと呑気に構えて、大阪人がお人好しと思われる方がよほど損だ、そして恥だ!
対話で解決することができず、ここまで来た。ならば、我々の意思を行動で示す他ない。自民党市議団はどうしようもない「申し入れ書」などを即刻撤回し、大阪人と日本人の憤怒をよく受け止めながら、もう一度、議論をイチからやり直せ!
宇山 卓栄
1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。著作家。2015年、自民党から大阪府議会議員選挙に出馬するも、次点落選。テレビ、ラジオにも出演し、歴史をベースとした視点から、時事問題や国際情勢を解説する切り口に定評がある。近著は『大阪のお金が誰でもわかる本』(あたま出版)。