2015年8月、国立大学法人評価委員会の「国立大学法人の組織及び業務全般の見直しに関する視点」という文書がきっかけになり、いわゆる”文系学部廃止”問題が勃発しました。
NHKの調査によると、人文社会学系の学部がある国立大学法人の8割が学部の再編や定員削減などを検討しているとのことです。
この”文系学部廃止”問題は、大学の教養課程の縮小と同じ流れによるものだと私は考えています。文系学部や教養課程での学習成果は社会に出ても仕事には直結しません。
もっと仕事に直結する教育にウエイトを置くべきだという考えが根底にあるのではないでしょうか?
工学部や理学部などの出身者は、企業の研究機関に入るなどすれば大学教育の成果がそのまま使える場合が多いでしょう。法学部や経済学部となるとかなり微妙ですが、企業の法務部や経済調査関連部署で役立つ人材も”まま”いると思います。
このように実利的に考えると、文学部などの文系学部は確かに”分が悪い”と言わざるを得ません。しかし、私は昨今の「働き方改革」などの議論を見ていて、文系学部は本当に不要なのだろうか?という疑問を抱くようになりました。
学生時代に、仕事に直結するスキルやノウハウしか身に着けてこなかった社会人に対し、「あなたは何のために働くのか?」「余暇時間だけが増えればそれで幸福か?」「そもそも幸福とは何なのか?」「人生の目的とは何か?」などという問いかけをすると、戸惑ってしまう人が多いような気がします。
もちろん、このような問いに対する正解はありません。
しかし、このような本質的な事柄を考えずに持てるスキルやノウハウを駆使して働くのでは、ある意味機械の歯車と同じで、いずれAIに取って代われれるのが関の山です。
大学の文系学部に属していれば「人生の意味」「仕事の目的」「幸福について」…等々を考えるようなるのかと問われれば、今の日本の大学ではいささか心もとない気がします。日本の大学の文系学部の授業の多くが、過去の思想家や文学作品等の紹介や解釈に終始し、学生たちに考えるきっかけを与えていないからです。
そういう意味では、講義スタイルや課題等を大幅に変更する必要があるでしょう。
かつて一世を風靡したマイケル・サンデル教授のハーバード白熱教室のように、大教室でも学生に考えさせる講義スタイルは十分可能なのです。
人生、幸福、生き方、仕事…等々の本質を考える訓練を積めば、文系学部は働く人間にとって(ある意味)最も重要な教育機関になり得ると思っています。
同年齢で同じような経済状況と家庭環境の二人が、同じ職場で机を並べて同じ仕事をしています。一人は毎日が楽しくて充実し、もう一人は不満だらけです。
こういったケースはどこの職場にでも見られる光景です。
仕事に直結するスキルやノウハウだけでは決して解決できない問題です。
働く人たちの多くが前者のように「毎日が楽しく充実」できれば、仕事の生産性はグンと上がるはずです。
このような課題に取り組むのが、本来の文系学部の使命だと私は思っています。
文系学部の奮起を期待してやみません。
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年11月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。