昭和レトロな養老保険

生存を付保対象の事故とした生存保険が年金保険である。そこでは、早死にする人が長生きする人を助ける。死亡を付保対象の事故とした死亡保険が普通の生命保険である。そこでは、長生きする人が早死にする人を助ける。保険は、ただのこれだけの相互扶助である。

生命保険に加入していて、死ぬことがなければ、保険料は戻ってこない。それを無駄だと思う人は、保険の仕組みを理解しない人であるし、死んで保険料を取り戻そうと思う人は、おかしな人である。そもそも、死亡保険金を自分で受け取ることなど、不可能ではないか。

さて、同じ理屈で、生存保険である年金保険に入っていて、生きることがなければ、つまり、死んでしまえば、保険料は戻ってこない。それを無駄だと思う人は保険の仕組みを理解しない人だが、何がなんでも生き延びて保険料を取り戻そうと思う人は、まともな人である。もっとも、死ねば、悔しがることもできないが。

以上は、純粋な保険機能のこと、あるいは保険理論の話である。現実にある商品としての保険は、純粋な保険ではなくて、貯蓄等の他の要素と結合している。いわゆるバンドリングである。バンドリングとは、束にすること、要は、抱き合わせることであって、保険に限らず、複合的機能をもった金融商品を作ることである。なおアンバンドリングといえば、バンドリングの逆向き、即ち、複合金融商品の各機能要素へ分解することを意味する。

バンドリングの代表例は養老保険である。保険会社は規制によって保険事業を営む会社として厳格に定義されているので、保険要素のない貯蓄商品を扱うことはできない。そこで、貯蓄商品に保険をバンドリングして貯蓄型の保険を作ったのである。これが養老保険の歴史的起源である。

養老保険の場合、満期保険金と死亡保険金が一致している。純然たる保険の場合、満期保険金はない。つまり、養老保険は、満期保険金を積み立てるという貯蓄要素に、死亡保険の支払いという保険要素をバンドリングして、作られているのである。

なぜ、養老保険が必要だったのか。それは、戦後復興政策の影響が大きいと思われる。戦後復興の原資は、零細な国民貯蓄の集積に基づいていた。零細貯蓄を効率的に吸収するためには、大蔵省による強力な規制と徹底した金融機関保護の政策が必要だったのだが、保険会社も、その戦後復興金融体制の重要な一翼を担っていた。そのなかで、養老保険は保険会社の主力商品だったのである。

いうまでもなく、こうして銀行や保険会社に集積された零細貯蓄は、巨大な塊となって、産業界へ投融資されて、日本の高度経済成長を実現させたのである。この仕組み、昭和の50年くらいまでは、非常に有効に機能していたのであった。逆にいえば、昭和50年ごろには、貯蓄集積の必要性は低下していたのである。

さて、社会的必要性の低下した金融機能を放置すると、どうなるか。いわずとしれた昭和のバブルである。そして、その崩壊。そのなかで、多くの保険会社が消え去ったのだ、養老保険の名とともに。

 

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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