ああ、エルサレム、エルサレム

長谷川 良

トランプ米大統領は6日、ホワイトハウスで、イスラエルの首都をエルサレムと見なし、米大使館をテルアビブからエルサレムに移転すると発表した。大使館移転には数年かかる予定だという。トランプ氏は大統領選で米大使館のエルサレム移転を公約として言明したが、同発表はイスラエル国内で歓迎の声がある一方、パレスチナや中東・アラブ諸国だけでなく、欧州諸国からも「中東和平へのこれまでの努力を無にするものだ」といった批判の声が挙がっている。

イスラエルのナフタリ・ベネット教育相 は、「エルサレムは過去も現在も永遠にユダヤ民族の首都であり続ける」とトランプ大統領の発表を大歓迎し、「他国もアメリカに見習い、エルサレムをイスラエルの首都と認知すべきだ。それが最終的には中東に和平をもたらすだろう」と述べている。

一方、パレスチナのハマス関係者は、「エルサレムのパレスチナ人、アラブ人、そしてイスラム教徒への恥じるべき攻撃だ」と批判している。トルコはイスラム協力機構(OIC)加盟国をイスタンブールに招き、緊急対策の協議を呼び掛け、ヨルダンとパレスチナ人はアラブ連盟の緊急会議の招集を求めているといった具合だ。

バチカン放送によると、世界最大のキリスト教会、ローマ・カトリック教会のローマ法王フランシスコは6日、一般謁見の場で、「米大使館のエルサレム移転計画はよくない考えだ。宗派間の紛争を引き起こす危険性がある」と警告を発している。

ところで、エルサレムはユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教の聖地と呼ばれている、すなわち、唯一神教の3宗派の聖地だということで、聖地を巡って宗派間のいがみ合いを回避する方向で努力が払われてきた経緯がある。それを米大統領が突然、エルサレムはイスラエルの首都と表明したことで、その歴史的妥協を土台から揺るがすことになったわけだ。オーストリアの代表紙プレッセは1面トップで「トランプ氏はエルサレムのタブーを破った」という見出しで大きく報じている。

イエスが2000年前、エルサレムに現れた時、ユダヤ人は彼を受け入れなかったばかりか、十字架にかけて処刑した。その結果、ユダヤ民族は世界のディイアスポラ(追放・離散)となった。新約聖書「マタイによる福音書」第23章37節を思い出してみよう。ユダヤ民族が久しく願ってきた救い主メシア、イエスが到来したが、彼らはイエスを殺害したとはっきりと指摘している。

イエスは「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった」と嘆いている。

その後、ユダヤ教に代わりキリスト教が主要宗派としてイエスの福音を世界に宣教していった。しかし、時間の経過とともに、キリスト教会は300以上の分派に分かれ、キリスト教の再統一は“夢のまた夢”となった。ペテロの後継を名乗るローマ・カトリック教会も今日、聖職者の未成年者への性的虐待事件が多発し、その対応に四苦八苦だ。イスラム教でもスンニ派とシーア派の宗派間の対立が激化するとともに、過激派が台頭し、世界にテロを広げている有様だ。すなわち、信仰の祖アブラハムから派生し、エルサレムを聖地とする唯一神教の3宗派は今日、いずれもその使命を果たすことができず、その初期原始教会の霊的生命力を失っている。その3宗派が今日、エルサレムを自身の聖地として他宗派といがみ合っているわけだ。

イスラエルは今年、1967年6月5日から10日の6日戦争(第3次中東戦争)勝利50周年を祝ったが、6日戦争前、エルサレムは1947年の国連決議に基づき、東西に分割され、西エルサレムはイスラエルが、東エルサレムはヨルダンがそれぞれ管理することになっていた。しかし、イスラエルは6日戦争で勝利し、ヨルダンから西岸ヨルダン、東エルサレム、ガザ地区を、エジプトからシナイ半島、シリアからゴラン高原を奪い、その領土は現在の3倍にも膨れ上がった。ダヤン国防相(当時)は嘆きの壁の前で、「分断されたエルサレムが再び統合され、われわれの聖地が取り戻された。今後は決して失うことはない」と述べている。

その後、国連安保理が東エルサレムのイスラエル併合を無効と宣言し、今日に至っている。なお、イスラエル国会は1980年、完全で統合されたエルサレムをイスラルの首都とすることを記述した通称「エルサレム法」を採決している。

エルサレム問題は、政治的観点からだけではなく、その宗教的背景を考慮して3宗派の統合を図る方向で解決すべきだろう。預言者洗礼ヨハネは、「自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。お前たちに言っておく、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起こすことができるのだ」(「マタイによる福音書」第3章9節」と諭している。
エルサレムを管理できる者は神の前に謙虚にその御心をなす者のものだ、という意味になるわけだ。3宗派はもう1度、原点に返るべきだろう。トランプ米大統領のエルサレム発言はその契機を提供するためのショック療法と受け取るべきかもしれない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年12月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。