保険会社は規制によって保険事業を営む会社として厳格に定義されているので、保険要素のない貯蓄商品を扱うことはできない。そこで、貯蓄商品に保険を抱き合わせて貯蓄型の保険を作ったのである。これが養老保険の歴史的起源である。この抱き合わせを、金融ではバンドリングと呼ぶ。
戦後経済成長の原資は、零細な国民貯蓄の集積に基づいていた。零細貯蓄を効率的に吸収するために、保険会社も重要な一翼を担っていたのだが、その主力商品が養老保険だったのである。しかし、低成長に突入した昭和の50年の後半には、貯蓄集積の社会的必要性は低下していたはずある。
経済の成熟により、保険の社会的機能は、貯蓄から死亡保障へ移行していく。具体的には、物価が大幅に上昇し、実質的な国民所得も上昇していたのだから、養老保険では、死亡保障の保険金額が少なすぎるようになったのである。
そこで、保険会社は、死亡保険金額を満期保険金額の10倍にする、さらには、20倍、30倍、40倍にするというふうに、死亡保障の比重を急速に引き上げていく。これが、定期付養老保険である。40倍ともなれば、圧倒的に保険の比重が高く、貯蓄要素は小さなものになる。もはや、主役は保険である。貯蓄を主役として保険を付加した養老保険から、保険を主役として底辺に貯蓄を置いた定期付養老保険への転換、このあたりから、保険会社は保険会社らしくなったのであった。
それでも、なぜ、底辺の貯蓄要素は残り続けたのか。ひとつには、慣習の問題というか、惰性というか、養老保険の進化という商品開発の路線が踏襲されたからであろう。しかし、より重要なのは、貯蓄部分から発生する利差益だったと思われる。当時の金融環境では、保険会社は、約束していた予定利率を上回る投資収益を実現していて、それを積極的に顧客に配当還元していた。この期待配当の魅力は、保険の営業上、重要な役割を演じていたのである。
他方、日本人は掛け捨てを嫌うという説もあった。掛け捨て保険というのは、死亡せずに満期を迎えたときは、既払い保険料が戻ってこない保険、要は、純粋な死亡保険のことをいうのである。保険料が戻らないのは、保険なのだから当たり前であるにもかかわらず、「捨て」という否定的な表現を用いるところに、貯蓄部分のない、即ち満期保険金のない純粋な死亡保険への当時の評価が表れている。
通説では、掛け捨てを嫌うのは、日本人の文化的選好なので、保険商品の開発に際しては、どうしても、貯蓄要素をバンドリングする必要があったのだとされている。しかし、それは、保険会社の営業政策として、養老保険が重視されていたことから、掛け捨てという用語を用いるなど、当時の保険会社の否定的営業話法から生まれた神話に違いないのである。
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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