豊洲新市場の具体的な開場日がようやく10月11日で正式決定しました。
翌日の開場日決定の報道を見ると「開場が2年遅れた」「時間だけが過ぎた」といった論調が目立ち、やはり小池知事には批判的です。
しかし、本当に時間だけが過ぎ、その間、何の成果もなかったのか検証しておきたいと思います。
まず、小池知事が豊洲市場の開場延期を決定したのは昨年8月31日。その理由は地下水モニタリング調査が終わっていなかったからです。すると1週間後には「盛り土」問題が発覚し、2ヶ月後には環境基準オーバーのモニタリング調査結果が判明しました。
この時点で、都民の不信感は最高潮に達し、到底、すぐに豊洲を開場できる状態ではなく、延期を決めた小池知事に誰もが納得したはずです。
そして、盛り土がなかったことの原因究明とその対策工事をどうするかの検討を始めなかればいけませんでした。その説明を市場関係者にする時間も必要です。
さらに都庁の報告に間違いはないのか?ほかに隠蔽はないのか?安全と言っている基準は正しいのか?
就任間もない知事として、外部の専門家も交えて検証する時間が必要だったことも、当時の状況を思い返せば当然です。
そこで見えてきたのが築地を含む11の市場の特別会計の赤字体質でした。築地を売って、豊洲の建設費を補填し、市場会計に繰り入れしようというものですが、ほかの市場の赤字分もあり、繰り入れしても20年先には限界が来る。市場の切り売りで、市場会計の延命を図るだけでいいのか、その検討も「市場問題プロジェクトチーム」で始まりました。
つまり開場延期は、地下水の汚染状況だけではなく、盛り土を隠してきた市場行政の暗部や見過ごされてきた市場会計の不安定さ、仲卸の切実な声を明らかにしました。その対策と検証に1年の時間をかけたことは当然のことと言えないでしょうか。
安全基準を検証する「専門家会議」、市場会計を検証する「市場問題プロジェクトチーム」、都庁幹部で議論する「市場のあり方戦略会議」。これらの議論が不要だったとは到底思えません。
時間はかかりましたが、この時間を惜しんで安全基準の検証がなければ、ベンゼン79倍に対する都民の不安の払拭もはかれなかったと言い切れます。
ずっと豊洲移転に反対だった仲卸の方々が私たちの都議会代表質問を聞いて「ここまで仲卸や場外市場関係者の声を聴いてくれたことはなかった」と話してくれたあとに、「10月11日の開場日決定に向けて仲卸で協議する」と言ってくれました。
今後も豊洲新市場の交通アクセスや事務所不足、市場内の交通導線などの問題に向き合い、失われた都と市場の信頼関係の回復に貢献しすることで、この延期に要した時間の価値を高めていきたいと思います。
伊藤 悠(いとうゆう)東京都議会議員(目黒区選出)、都民ファーストの会 政調会長代理
1976年生まれ。早稲田大学卒業後、目黒区議を経て、2005年の都議選で民主党(当時)から出馬し初当選。13年都議選では3選はならずも、17年都議選では都民ファーストの会から立候補し、トップ当選で返り咲いた(3期目)。都民ファーストの会では、政調会長代理と市場政策プロジェクトチーム座長を務める。