帰化人と渡来人と「帰化した人」はどう違うか

「帰化人」と「渡来人」について、質問がFacebookで寄せられた。この問題は、『韓国と日本がわかる 最強の韓国史』(扶桑社新書)でも扱ったところなので、まとめておく。

日本語の帰化人という言葉は『古代にあって、国家統一以降に渡来した人の男系子孫』という意味以外に使われることは誤用を別にすればないと思う。従って、現代において外国人が日本に帰化した場合については、『帰化した人』であっても『帰化人』とはいわないし、アメリカに帰化した日本人を『日系帰化人』ともいわない。

帰化人でなく渡来人と呼ぶべきでないかという議論については、wikiではおおむね次のような説明がされており、ほぼ正確だと思う。(一部編集)

歴史学者平野邦雄によれば、『日本書紀』の用法において、「帰化」「来帰」「投下」「化来」はいずれもオノヅカラモウク、マウクと読み、概念に違いはない。また古事記では三例とも「参渡来」と記し、マイワタリツ、マウクと訓む。

日本史の用語としては、「帰化人」という呼び名が学会の主流であったが、第二次世界大戦後、戦前の皇国史観への反省と植民地統治の是非をめぐる政治的な論争を背景に、「帰化人」という語には、日本中心的な意味合いを含むなどとされから不適切な用語であるとされ、上田正昭らにより「渡来人」の呼称が提唱され、学界の主流となった。

しかし、歴史家中野高行はこの問題に関して、古代史研究の上では帰化人という用語の使用については価値自由を要求している。さらに朴昔順や田中史生らはやはり厳密に区分されるべきとし、関晃や平野邦雄らは「渡来」には単に渡ってやって来たという語義しかなく、倭国王(大王)に帰属したという意味合いを持たないため、やはり「帰化」を用いた方が適切だとする見解もあり、学術研究上の議論は現在も続いている。

今日の日本では「帰化」という用語は、法曹関係者間や法務省をはじめとする役所の手続きなどで、法律用語として使われる。メディアなどでは、日本以外の国籍取得に関しても「帰化」の単語が用いられる。

つまり、古代においては、外国から来て日本に定住したいと望み、それを認められた人々について帰化などさまざまな用語が存在したが、いずれにしても、単にやってきたら居住を認められるのでなく、朝廷の威光に従うことを約束し、それを認められたというものである。

それを上田正昭のように日本中心的であるという批判をするのは誤りと言わざるを得ない。外国からやってきた人に国籍を与えるかどうかは、現代でも受け入れ国の自由な選択にゆだねられるものであり、対等な関係で交渉するというような性質のものでない。

また、帰化という言葉が現行法制において使われていることからしても、歴史学者が(そういう意見をもち表明することは自由であるが)勝手に差別用語に近いものと認定して教科書などから追放させるのは著しく不適切である。そういうわけで、私は渡来人という言葉は使わないことにしている。

この上田正昭の考え方は、たとえば、在日朝鮮人などについて本人が希望すれば日本側は選別できないという主張に繋がるものであり危険である。

なお、いわゆるハーフについては、古代では帰化人かどうかは男系で判断されていたので、ハーフとかいう概念はない。たとえば、桓武天皇は帰化人でないし、その母である高野新笠は帰化人と言うことである。

中世以降の移民については、「帰化人」といった特別な用語はないが、一時的な滞在でなく定住することを認められた場合には、帰化したということは差し支えないと思う。

有名なのは、文禄・慶長の役で日本に連れてこられた人たちだが、意思に反してというケースが多いが、すべてがそうではない。有田焼の祖である李参平については、鍋島が連行したのでなく、日本軍に協力したので報復を恐れて渡来を望み、それを鍋島が受け入れたものとされている。

韓国と日本がわかる最強の韓国史 (扶桑社新書)
八幡 和郎
扶桑社
2017-12-24