そこで、色んなゲンナリするコンテンツが垂れ流されていたのですが、特にゲンナリしたのがダウンタウンの「ガキの使いやあらへんで 絶対に笑ってはいけない アメリカンポリス24時」でした。
タブーの「黒塗り」
『私の気持ちは半々です。半分の私は、日本のテレビコメディーや音楽でブラックフェイスを見るたび、見下されたような、馬鹿にされたような、そして表面だけを見られて、人間性を否定されているような気分になります。私の肌の色が、私自身の人間性が、芝居の小道具、あるいは脚本にされたかのように感じるのです。しかし、もう半分の私は、『彼らは子供で、わかっていないだけ。だから我慢しなきゃ』とも思うのです』『敬意を持って、一緒に生きていこうと決めた日本の人たちに対して、このような感情を抱いてしまうのは、つらいことです。』
なぜ黒塗りはダメなのか
このように、日本を愛するアメリカ人の方が深く傷つく理由。
それは、黒塗りが、「ミンストレル・ショー」(Minstrel Show)で使われていて、それが黒人差別の歴史の象徴だからです。
黒塗りはなぜダメ?日本人も知っておきたい「ミンストレル・ショー」の歴史
ミンストレルショーは、1840年代から半世紀に渡って盛んだった、白人が顔を黒塗りにして、歌って踊る娯楽です。
内容は、黒人を無知でずるくて、怠け者で滑稽で・・・と黒人の人間性をからかい、ステレオタイプを助長させるものでした。
メイクも、真っ赤で分厚い唇など、黒人をカリカチュアしており、これもまた差別的なものでした。
今では当然、こうした差別と偏見の過去は恥ずべきものとして否定され、タブーとなっているのです。
多くの日本人は「そんな過去は知らない」「そんなつもりは無い」と言うでしょう。
しかし、例えばアメリカ人が「ヒロシマの人の真似」と言って、焼けただれボロボロになった格好をして笑いを取っていたら、我々はどう感じるでしょうか?
パワハラ・イジメで笑い
また、ベッキーさんに、タイの格闘家がサプライズで蹴りを入れる、というシーンもありました。
これも非常に気分の悪いものでした。怯えて嫌がるベッキーさんに、「不倫の禊だ」と言って、蹴りを入れて、周りの男性芸人達がゲラゲラ大笑いする。
これのどこが面白いんだ、と。
単なるイジメであり、パワハラです。
現実の世界では、広告代理店で若い女性がパワハラと過労で自殺してるわけです。
笑えねえよ、と。
あと、なんで不倫したら女性だけが禊で蹴られないといけないんだよ。
誰がそれ、求めてんだよ、と。
浮かび上がる人権後進国
黒人の人権、女性の人権、こうしたものを軽くみている、民放の番組制作者の姿勢がよく伝わりました。
大晦日の特番という多くの国民が見ている中で、こういう内容が「あり」とされるのであれば、日本全体に人権後進国のレッテルが貼られても、仕方がないと思います。
「何を無粋なことを。そんなこと言ってたら、お笑い番組なんて作れないよ」という声が聞こえてきそうです。
本当にそうだろうか。
人権に配慮した笑いって、本当につくれないんでしょうか。
差別やイジメでしか、我々は笑えないんでしょうか。
だったらお笑い番組なんて、要らないよ、と個人的には思います。
もうテレビごと捨てちゃいましょう。百歩譲ってAppleTVやAmazon Prime のモニターとしてのみ使いましょう。
テレビが持ってくる「抑圧的な笑い」から、自由になろう。
僕は、一人一人の違いが尊重されて、色んな国から来た人や女性が差別されることもなく能力を開花できて、パワハラもイジメもない、そんな素敵な国に、この日本をしたいです。
マスメディアが僕たちの日本をいまだに古くさくて抑圧的な価値観に縛り付けようとするのなら、そこから抜け出して、新しい日本を創りたい。
そのくらい願っても良いですよね。新年なんだから。
編集部より:この記事は、認定NPO法人フローレンス代表理事、駒崎弘樹氏のブログ 2018年1月4日の投稿を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は駒崎弘樹BLOGをご覧ください。