ウーマンラッシュアワーの構成員、村本大輔氏が朝生に出演してやらかしたそうだ。当日、そのタイミングはラジオに生出演しており。音声は聞いていないが「村本大輔、突っ込まれてそうだなあ」「落合陽一、場の空気を支配しているなあ」などと思いつつ、見守っていた。
ちゃんと見ていないので、本来はコメントするべきではない。ただ、この点はだけは言いたい。彼を起用したこと自体は、ナイスな冒険だったのではないかと。これは田原総一朗氏による朝生の再生企画なのではないかと。
小林よしのり氏がコメントしているように、各種ログを見る限り、彼は明らかに勉強不足な発言をしたようだ。
他の出演者にも、フルボッコにされたようである。
もっとも、まったくの私見ではあるが、朝生は田原総一朗サークル化しているのではないか。所詮、テレビ番組であり、見世物だ。議会でも学会でもない。もちろん、公共の電波でいい加減なことを言うのはいかがなものかと思うが、実際、彼がフルボッコにされたように自浄作用も働く。
そんな中、場の空気を乱しつつも、また勉強不足や無責任感が指摘されつつも、多様な人を登場させるのもまた、朝生らしさではないか。初期朝生にはそれこそ芸能人も含め多様な人が登場していたと記憶しているのだが。さらに言うと、出演者も専門外のことに言及していたり、そもそも専門知識が怪しかったり、専門分野がない人だっている。だから、彼を出演させたこと自体は良い実験だったと評価するべきではないか。
少し前にこの本を読み、初期朝生に関する田原総一朗氏の気概に激しく胸をうたれた。タブーに挑戦していたし、何ヶ月もかけて出演者を口説き落としたりもした。
それに比べると申し訳ないが、今の朝生は出演交渉が難しい人も呼んでいなければ、デリケートなテーマにも挑戦していない。出演者も優等生だらけだ。だから、この挑戦は否定してはいけないと私は思うのだ。
もっとも、この「社会派芸人」なるものも、疑ってかからなくてはならない。
私は芸人に限らず、自分の才能で食べている人たちが政治的、社会的発言をするのには賛成の立場である。海外ではそれが当たり前だ。それに比べると日本のタレントは無難すぎる。
ただ、「芸人だから」ということで、専門知識が足りなくても許されたりするのはどうか。村本も、今は無知でOKだが、今後は「ちゃんと勉強しているのか?」が問われるだろう。もちろん、無知であるがゆえに、庶民の視点で人々が薄々感じている「おかしいな」と思うことを発信することができるというのもあるのだが。
というわけで、村本は今後が問われるだろう。朝生と彼の今回のチャレンジ自体は応援したいのだ。うむ。
最新作をよろしくね。議論することがいかに大切かを論じているよ。
「パパの本、買ってね!」
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2018年1月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。