憲法第9条で平和が守られるかどうかは、絶え間ない論争の種だが、いちばん、困ったことは、そのときどきの解釈のままで大丈夫である条件がきちんと設定されていないので、前提条件が失われても改正されたり、解釈が速やかに変更されないことにある。
そもそも、第9条をマッカーサーが日本に押しつけた前提は、①アメリカが唯一の核戦力保有国、②ソ連以外にアメリカに対抗しようという国はない、③沖縄の基地は未来永劫にアメリカ軍の自由使用が前提だった。
ところが、①と②が崩れたので、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効して戦後体制に移行したときは、すでに自衛隊と安保条約があり、③はそのままだった。
その後、中国が核武装したし、沖縄は返還されたが、中国が現実の脅威でもなかったので、とくに解釈の変更は行われなかった。そして、いまは、北朝鮮が核武装し、中国は現実の脅威になっている。このふたつの変化に対応した防衛体制に移行せねばならないのだが、それは集団的自衛権が認められるくらいで済むものではない。中国が空母を持つなら日本も持つべきだし、北が核兵力を維持するなら日本も核武装すべきだ。
もちろん、日本は核武装などしたくない。ならば、北の核戦力が完成するまでに、若干のリスクがあってもその除去を実現するためにやれることをすべきだし、アメリカの軍事行動にも協力すべきだ。指をくわえてながめておいて、もう、第9条は役に立たなくなったというのでゴミ箱に捨てる羽目になるよりましだろう。
もし1960年に日本が「中国が核兵力をもつなら日本も持つ」と言っていたら、あるいは2000年に「北朝鮮が持つなら日本も」と宣言しておけば、彼らの核武装に対し極めて強い抑制材料になっただろう。
日本に第9条があるからといって中国も北朝鮮も核武装を思いとどまらなかったわけで、どっちが、核のない世界へ建設的な態度だったかは明らかかもしれない。「ICAN=核兵器廃絶国際キャンペーン」の活動も「オバマ演説」も残念ながら北の核武装を止めるためには無価値だったことは語るまでなかろう。