七草粥を食べた。ちゃんとした七草粥は人生で初めてかもしれない。昨年くらいにつくったのは、余り物の米をトロトロに茹でて七草を加えた「七草雑炊」みたいなものだったので。人生で初めての七草粥だと思う。ウチの札幌の実家では食べる習慣がなく。そもそも、おかゆというものが苦手だったので。炊飯ジャーのおかゆ機能を使って作ってみたが、いい感じ。
それはそうと、理解できないニュースがいっぱい届く、今日このごろ。ガキ使は、例のハマちゃん顔面黒塗り問題で炎上しており。「うるさい世の中になったな」的な意見もあると思うが、いやいや、この手の話ってもう40年くらい議論されており。
さらにはベッキーへのタイキック問題。これもどうかと思ったが、彼女はこんなコメントをしていた。
ベッキー ガキ使“タイキック”に感謝「タレントとしてありがたい」(オリコン)
笑われてナンボというタレントの矜持なのかもしれない。また、復活するための禊や話題作りと捉えているのかもしれないが、私はタイトルを見た段階で脱力し。文面を読んで、さらに失望した。
なんだ、こりゃ。
笑止千万の妄言である。
これはわかりやすい「こいつには何も言っても、やってもいい」といういじめの構造の複製そのものではないか。再起を図るにしても、別のやり方があるだろう。このような前例があれば、何かこうスキャンダルがあった人は(そのスキャンダルも、「別にいいだろ」というものが中にはあるのだが)、ここまでしないと復活できないという悪しき前例にならないか。
これを、「美談」として記事化するオリコンのサイトもどうかしているし、ヤフトピにするYahooもいかがなものか。PVの走狗と化した日和見主義者そのもの、PV至上主義的汚濁そのものである。思想難民そのものだ。ゲスの極み、そのものだ。あの低俗な番組に対しても、これらのサイトに対しても両成敗が止まらないのだ。
「ガキ使」に対しては、不満と不信が鬱積し、断固たる大衆的反撃の闘いの炎は燎原の火のごとく燃え広がりつつある。このような低俗な手段をもってして延命のあがきをする炎上放火者たる同番組に対しては、イデオロギーを超えて、無慈悲な鉄槌を振り下ろすべきである。
最後にベッキーよ、どん底の底が破れるとき、そのときはじめて光まばゆい世界が開けるのである。国民を笑いで手懐けようとする番組などには出るのをやめて、自分の道を強く進みなさい。輝かしい一歩を踏みだすのだ。
今ここで起ちあがらないならば、人類滅亡の危機さえ招くことを直覚し、勇躍決起した次第だ。ガキ使の道義の頽廃を徹底的に糾弾するとともに、その悪行を完膚なきまでに暴き出す闘いを断固として創造するのだ。
最新作、よろしくね!
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2018年1月8日の記事を転載させていただきました(アイキャッチ画像はベッキーさんの公式ブログより)。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。