いよいよ秋季学期も最終週を迎えた。期末課題の締め切りが迫り、慌てた学生の課題作文がどっと届いている。テーマは、「人工知能(AI)に何を望むのか?」「何を望まないのか?」である。
何とも人間臭さを感じるのが、自分の人生を記憶してもらうことに強い願望を持っていることだ。たとえば、こんなふうに。
「もしAIが、私が出会ったは縁を記録してくれればいいと思う。人は人生の中で多くの人に出会い、そして、多くの人を忘れてしまう。運が悪ければ、いやな人にもたくさん出会う。AIが一つ一つの出会いを、文字や写真、動画で記録していてくれたら、いつか見返して、いろいろな思いにひたることができる。人生のやり直しはできないけれど、往時を懐かしむことや、数多くの失敗から学ぶこともできる。もしかすると、心に凝り固まっていた偏見や誤解を消し去ることができるかも知れない。きっと人のステレオタイプを修正する効果を期待できるに違いない。人は弱い存在だから、無意識のうちに周囲の環境の影響を受け、知らぬ間に自分独自の固定した観念を抱く。だからこそ、第三者の目でずっと見ていてくれる存在が必要になるのだ」
ある小説を読んだ感想から説き始める女子学生もいる。
一人の浮気男が不運から罪を犯し、投獄される。牢獄の中でこれまでの人生を振り返るうち、そばにいてずっと尽くしてくれた妻の姿が目に浮かぶ。自分の不行跡を恥じ、反省し、改めて妻に許しを請い、愛情を伝えようと決意する。ようやく刑期を終え、家に戻るが、妻は重度の痴ほう症にかかり、もはや自分の夫さえわからない。なんとも切ない物語だ。
そのうえで彼女は、人生にとって何が一番大切なのかを自問する。富なのか、家族なのか、健康なのか……。そして、
「私にとって、人生で最も重要なのは記憶である」
と言い切る。
「私が生まれた時からの物語を語り始めて、出会った人たちや学んだこと、自分で稼いだお金のことも。もし年老いて、痴ほう症になっても、進んだAI技術によって、脳に記憶を戻し、最初から記憶をたどることができるようになればいいと思う。これらの記憶は個人のものだが、それを家族が保管しておいてもよい。家族が年老いて、私のことさえも忘れられてしまうというのは考えられない。母がある日突然、私に向かって『あなたは誰だい?』と言うのを想像しただけで恐ろしい」
もちろん、過去の記憶を思い出したくない人もいる。苦痛の記憶に耐えられない人もいるだろう。あくまで本人が決めることだ。過去の記憶を呼び戻すだけでなく、消去する権利も認めなくてはならない。プライバシーに配慮すべきことは言うまでもない。勝手に人の過去を他人にのぞかれてはたまらない。メディアの世界では、忘れられる権利も尊重すべき倫理基準がある。更生を妨げる前科履歴などがそうだ。
彼女が最後に残した言葉が印象的だった。
「私が恐れるのは、周囲の人の記憶の中から私が消えてしまうことだ。あたかもこの世に存在しなかったかのように。こんな切ないことはない」
その恐怖や不安を、もしAIが解消してくれるのであれば、彼女にとってこんな幸せなことはない。AIは万能の神であり、一人の力だけではどうにもならないことを、ぜひやってほしいと願う対象なのだ。機械的な動作を反復するのではなく、人間の心の琴線に触れるため、よる感情移入が強まる。結局のところ、AIは人間の願望や欲望を投影した人間の分身なのだ。AIを恐れるのであれば、同時にそれを生み出す人間を恐れなければならない。人間が自らを省みるために、AIが現れたと言ってもよい。
(続)
編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2018年1月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。