『社畜上等!』の論理 私が社畜だった頃の話をしよう

常見 陽平


約1年ぶりの単著、『社畜上等!』を発表した。

・・・タイトルを見て、身震いした人、何事かと思った人もいることだろう。一方、「あぁ、言っちゃった」とか「よくぞ言ってくれた」と思う方もいるのではないだろうか。

「常見は転向した」「今まで言ってきたことと整合性がとれているのか」などと批判する人もいることだろう。そう、私はこれまで、どちらかというと労働者の側に立ち、ブラック企業・ブラックバイトなどを批判してきた。「働き方改革」など、一見すると労働者の役に立ちそうな取り組みについても、かえって労働強化にならないか、サービス残業が誘発されないかと問題を指摘してきた。

そんな私が「社畜上等!」なんてことを言うのだから「常見はおかしくなったのではないか」と思う人もいることだろう。

違う。

常に労働者の側に立つという私のスタンスはまったく変わらない。

いくら「働き方改革」が叫ばれたところで、多くの人は「会社」というものと向き合い続けなくてはならない。

人は社畜に生まれるのではない。社畜になるのだ。

それならば、立派な社畜、楽しい社畜、使い潰されない社畜になるという手だってあるじゃないか。社畜なりに楽しく生きる方法を身に着けようというのがこの本の発想だ。明るい処世術を提案している。

思えば、20年前、リクルートの新人営業マンだった私は社畜そのものだった。当時のリクルートは「9to5」の会社だった。朝9時から朝5時まで働く日があったのだ(さすがに、毎日ではない)。

日中は1日5件の顧客訪問が課せられていた。並行して、アポとりや企画書作りもする。顧客からも宿題を頂き、それに対応しなければならない。営業マンとして当たり前といえば、それまでだったが、大変に忙しかった。

営業会議は受注を予測する「ヨミ会」であり、「ツメ会」だった。いつも白熱し、営業目標に対する達成度、商談内容などに関して徹底的に問い詰められる。営業から戻ってきた後に、2時間程度、会議は続く。フラフラになった状態で、顧客に提出する資料作りを行う。心理的なプレッシャーが辛かった。何度、トイレで泣いただろう。いや、フロアで泣いたことも一度や二度ではない。

当時の先輩の指導で、お礼状も必ず、手書きで筆ペンで書いていた。何度も間違い、やり直しをした。

上司や先輩も遅くまで働く。夜中の2時、3時に課の全員が企画書を書いていたこともある。たいてい、終電かタクシー帰りだった。

終わったあとは、独身寮の仲間と小岩駅の近くの地蔵通りの真ん中にある中華料理屋で2時まで営業会議第2ラウンドだった。

新人ならではの雑務、研修、宴会幹事などの仕事が多かったのも、まったく変わらない光景だった。これだけ忙しいのに、営業の途中に東急ハンズで宴会芸グッズを買い、会議室で芸の練習をするのもなかなか酷だった。「少年ケニア」という芸をさせられた時は、カラオケボックスでみんなにまち針を吹き矢で飛ばされ、Tバック1丁のカラダに何度も刺さり。何のために東京に出て、大学を出たんだろうと思った。

仕事をこなしきれず、土日のどちらかは半日程度は会社に行っていた。みなし残業で使い放題プランだった。

当時、流行っていたSMAPの「夜空ノムコウ」を聴いて、何度も涙した。なにも信じられないよ。

社畜時代のエピソードは枚挙に暇がない。今後も披露していこう。

しかし、これは悪しき社畜だ。素晴らしい社畜像というものもあるのではないか。それは、このように会社に抑圧するのではなく、会社を上手く使うのだ。使われるよりも、使う。意識高い系の話に聞こえるかと思うが、要するに会社との関係を考えようという話である。そのための処世術を惜しげもなく披露している。

表紙は寄藤文平さんだ。リクルートが昔だしていたフリーペーパー版の『R25』やJT『大人たばこ養成講座』などで知られる。最高にかっこいい。


この本が広がることによって、多くの労働者が救われるのではないか。私はそう信じている。昨日は明治神宮にお参りに行き、こんな絵馬を書いてきた。


働き方改革が叫ばれる今日このごろだが、これは救国の書である。ぜひ、手にとって頂きたい。

さて、これで商業出版の、正式に通っている依頼はいったんおしまい。久々に企画ゼロになった。そろそろ潮時だろうか。とはいえ、本を乱発する時代でもないので。落ち着いて頑張ろう。一緒に悪巧みしたい編集者、ぜひ声をかけて欲しい。でも、しばらく充電。ゆるやかにお声がけ頂いている企画を頑張る。


編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2018年1月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。