氷点下で半袖半ズボン強制の小学校ルールを変えてもらった話

駒崎 弘樹

小学校1年生の父親の駒崎です。

先日、あったことをお話しします。もしかしたら、同じような立場の保護者の方々に参考になるかもしれないと思いまして。

あらすじ

小学校1年生の娘がいるのですが、持久走大会という、校庭4周ほどするイベントがあったんですね。

で、その練習をその前1週間くらいやっていたそうなのですが、東京では大雪が降ったり、インフルエンザが流行っていました。

娘がぽろっと「練習で走っている時は、トレーナーとかは着ちゃダメで、すんごく寒いの」と食事中に言ったわけです。

僕はちょっと驚いてしまって、「え、それって本番もそうなの?」と聞いたら、練習も本番も、とりあえず半袖半ズボンの体操着で走る、ということになっていたそうなんですね。

「今、超寒いよね。先生はなんで、って言ってた?」

「何も言ってないよ」という答え。

アクション

とりあえず、翌日が持久走大会本番だったのですが、夕方電話してみました。

娘の担任は帰宅されていたので、同じ学年の他のクラスの先生が出ました。

駒崎「いつも大変お世話になっています。ちなみに、持久走大会なんですが、なぜ半袖半ズボン強制なのでしょうか?」

先生「いや、なぜ、ということはないのですが、いつも体育は体操着、ということになっていまして」

駒崎「なるほど。ただ、外は氷点下4度で、かつインフルエンザもここ10年で最も流行しているという状況がありまして、その辺りを考慮して、なお教育的効果がある、というご判断でしょうか?」

先生「ご趣旨はわかります」

駒崎「自分の子が、ということもありますが、例えば病弱な子ども、障害のある子、色んな子がいるかと思うんですよね。そういう子ども達みんなにとって、一番良い方法はなんだろうか、と思うわけです」

先生「仰っていることは分かりますので、明日の朝、校長に相談して折り返しますね」

というやりとりがありました。

レスポンス

翌朝、トイレに入っていたら、校長先生から電話がありました。

校長先生「お父さん、すいません。仰る通りかと思われましたので、今日の持久走大会は、トレーナーの着用等、OKということにいたします。」

(トイレの中で)駒崎「え、そうなんですね。ご配慮ありがとうございます」

校長先生「また、この季節にやる意味もよく考えたら無いので、時期自体も見直して参りたいと思います」

駒崎「それは確かに本当にそうですね。ありがとうございます。」

校長先生「お父さんに言われないと変われないのもお恥ずかしい限りですが、これからも宜しくお願いします」

駒崎「はい、いつも本当にありがとうございます。これからも宜しくお願いします」

というような丁寧なご回答をいただいたのでした。

結果

持久走大会の前に、一斉にアナウンスがあったようで、子どもたちはそれぞれトレーナーを着用し、元気に走ることになりました。

何年か何十年か知りませんが、長年続いていたっぽい、半袖半ズボンで寒い中走る、という「伝統」は、電話2本で変わったのでした。

持久走が8位に終わって不服そうな娘の頭を撫でながら、今回の件をぼんやり考えました。

ぼんやり考えたこと

今回、学校側の対応は本当に真摯で丁寧で、解決もスピーディーでした。対応してくださった先生たちには感謝しかありません。

ただ、若干引っかかるのは、「真冬に半袖半ズボンで走らせる」という、明らかに非合理的かつ、何の教育効果も無いことに、保護者たちの誰も、何も言わなかったのかな、と。

言えば学校も「そりゃそうですよね」みたいな感じで、運用を変えてくれるわけなのに、なぜ何年も、ひょっとしたら何十年もそのままだったのだろう、と。

僕はここに、「悪者」がいるわけではないと思うんですね。みんな悪意があるわけではなくて。

「なんとなく」なんですよね。なんとなく、ルールがあったら、まあそういうもんだよね、っていうことで、それに順応しようとする。

それは我々の心に、あまりにも自然に植え込まれていて、その存在自体に気づかない。

こういうことって、本当にたくさんあるんじゃないかな、と。

クレームと対話の違い

ただ、保護者が学校とか保育園にあんまり意見しまくると、運営側の負担になっちゃう、っていうこともしばしばあると思うんです。そうはなりたくないな、と。

特にクレーム的なものは、やっぱり先生たちを疲弊させちゃいます。

どうやったら、クレームじゃなくて、文句じゃなくて、問題提起をできるのか。

全然確固とした答えがあるわけではなく、ベタな答えですが、褒めるところは褒めつつ、言うところは言う、っていうこと。また、批判だけでなく、貢献できるところは自分も貢献していく、っていうことなのかもしれません。

「なんとなく」に抗う

誰も悪意のない、でも子ども達にとって、全く良くない「なんとなく」達。

組体操やブラック部活、ブラック校則などなども、その一部かと思います。

こう言うもの達を、「よく考えたら、要らないですよね?」って、空気を読まず、クレーム的な口ぶりじゃなく、学校に伝えていくのは、まさに我々親たちがやっていったほうが良い活動なんじゃないか、と。

面倒くさいし、ちょっぴり勇気も要るけど、でも大人なんだし、それくらいはやれる。

民主主義というのが、もし「みんなで社会のルールをつくる」ということなんだったら、それは投票以外にもやることは、やれることはある、っていうことなんですよね。

そんなことを思った出来事でした。


編集部より:この記事は、認定NPO法人フローレンス代表理事、駒崎弘樹氏のブログ 2018年2月5日の投稿を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は駒崎弘樹BLOGをご覧ください。