教室をもしデザインし直すとしたら?

とてもワクワクする質問。

日本の学校建築の多くは、同じ形の教室が廊下に沿って一直線に並んでいる、いわゆる

片廊下型校舎です。そのような教室の形式は、

他に対して閉鎖的であり、この中では1人の教師によってクラスメンバー全員が『一斉進度学習』によって主導されることが学校教育の基調となる(学級王国)。そして、この[教室=クラス集団=一斉進度学習=学級王国]はどの学級、どの学年でも同じように繰り返されるので、建築的にも同じ面積・仕様・デザインの「教室」が単調に繰り返されることによって『学校建築』が成立するのである。

学校建築ルネサンス
上野 淳
鹿島出版会
2008-01-01

 

こんな指摘があるように、現在の一般的な教室環境が、教師主導の一斉授業を強化してしまっているとも考えられます。子どもたちを空間で「囲う」ことで教師の教えやすさを優先しているわけです。お互いの教室でなにが行われているのかが見えない閉鎖的な空間は、子どもたちにとっても居心地の悪さにつながりかねません。

もっとオープンにしよう!ということで、全国的には、70年代からオープンプラン・スクールをはじめとした子どもたちの学びやすさに焦点を当てた学校建築は増えました。いわゆるオープン教室です。廊下側の壁がなくて、廊下と一体になっています。教室間がつながっていて、廊下スペースも学習等に活用できます。例えばこんな感じ

オープンスペース
1970年に日本で初めてのオープンスペースが誕生して以来、教育環境や空間設計の変化とともに進化してきたラーニングスペース。現在、学年ごとの学習活動の減少や基礎・基本の徹底により、クラスルームとオープンスペースの一体化への需要が高まっています。私たちは、一つひとつの教育現場に適したオープンスペースの在り方を追求します。

www.kokuyo-furniture.co.jp

しかし先進的な学習環境も当事者にとって「与えられた環境」になってしまい十分に機能していない所があると聞きます。ぼくの同僚、渡辺さんはこんな風に指摘しています。

その空間に込められた思想を教師たちが活かそうとしなければ、新たな学校建築上の試みは役に立たなかったり、かえって「他と違っていて不便な施設」と認識される可能性がある。実際、教室の横に配置された、子どもが数名中に入ってくつろいだりできることを意図された「アルコーブ」と呼ばれる小さな空間が、教師たちに単なる物置として使われ、子どもが寄りつかなくなってしまっているといった例が、学校建築の「先進校」とされる学校においてさえ見られることもある。設備があっても、教師たちにその空間を活かそうとする構えがなければ、その設備は活かされない。

教育方法と授業の計画 (教職教養講座)
田中 耕治
協同出版
2017-04-01

 

うーん、納得。オープンスペースの学校を色々見に行ったことがありますが、ただの物置になっていたり、「気が散るので閉じてほしい」という先生の声が聞こえてきたり。オープンになっている部分が日常的に活かされている実践をあまり見ることができません。残念ながら、ハードとしての学校建築を変えたからといって、ただちに子どもたちの学びに変化が起きるわけではありません。大切なのは、空間の意味と価値を踏まえ、実践を変えていこうとする意識や継続的な取り組みです。

「もし教室を理想的な環境にデザインするとしたらどんな教室にしますか?」ここで最初の質問に戻ります。もちろん建築自体を変えられると素敵だけれど、今の環境でも持できることは山ほどあるはず。今の教室の有り様から発想していると、その枠から出て考えることはできません。思い切って「理想的な」デザインを考えてみたいです。この記事では物理的環境にしぼって考えてみます。

デザインしていく上でどんなことが大切でしょうか。思いつくままに書いていってみます。

1,ゾーニング

教室を豊かな学習空間にするには、学習者の学びを誘発する(誘う)ような環境が必要です。教室全体を幾つかのゾーンに区切って、活動ごとに使えるようにします。

例えば、本がたくさんおいてある読書コーナー、グループワークがしやすいワークスペース、一人で集中して学ぶためのコーナー(オープンな学校じゃないならば、廊下に机やテーブルを出してそのコーナーを作って『サイレントコーナー』と名付けてしまいましょう)、集まってミーティングする広場(サークルベンチ等)、文具や道具、資料などをその場で使える作業コーナー、くつろぎスペース等々。アイデアは無限です。それぞれの活動ごとに場所を区切るのです。

日本の教室の多くは、「毎時間その時間に使うものを机やバッグから出す」ことで初めて「学びの空間」になります。ゾーニングでコーナーをつくることで、常に教室が「学びの空間」であり続けいつでもアクセス可能になります。常に見えているのでその環境が学習者の学びを誘発します。

幼稚園や保育園ではこのように環境構成によって学びや遊びを誘発するようにしているんですよね(場所によりますが・・・)。学校も同じではないかと思うわけです。

2,自己選択・自己決定できる場

単一の環境では、学び方も居心地の良さの感じ方も違う一人ひとりに対応できません。

多様な場をおくことで「自分にとって学びやすい、居心地の良い場」を選べるようになっていることが大切だと思います。ゾーニングはそのための手立ての一つ。

こんな言説に出会うことがあります。

「教室前面は子どもの注意がそがれないように掲示物を最低限に抑えましょう。」

これがユニバーサルデザインか。なるほどなるほど、これで居心地の良い空間になるのか。うんうん。そうかそうか。・・・・・ん?

学校現場でこの言説があっという間に広がっていくなか、ぼくはずっと違和感が残っていました。そもそもこの提案の前提はなんでしょうか?

それは「全員前を向いて先生の話を聞いて学ぶのがデフォルト」ということです。いや、「一斉授業が悪い」とかそういうことを言っているのではなく、これまでの一般的な授業形態、教室のあり方に、子どもたちが合わせていくという方向がおかしいなあと思うのです。その「困難」は誰が作り出しているのか?その視点が欠如したユニバーサルデザインは、もしかしたら学校や教室が作り出しているかもしれない「困難」にどうやって付き合わせるかに終始してしまいます。

あわせることへの「困難」を取り除く為の手立てをするのではなく学習者側から学習環境を考えてみたい。一人ひとり集中できる環境、学びやすい環境は違うはずです。自分に合う場を選べること。いろいろな環境を試してみられること。自分の学びの場を自己選択・自己決定できるようにすること。机がいい人もいれば、床がいい人もいるし、隅っこでひとりしずかに学ぶのがいい人もいるし、わいわいコミュニケーション取りながら学びたい人もいる。開かれた空間がいい人もいるし、閉じられたスペースが落ち着く人もいる。それが自然だと思います。

そのためには、1のゾーニングとともにフリーアドレスという方法もあります。

ちなみに、ぼくは小学校教員時代、算数や学習の個別化の時間等はフリーアドレスでした。もちろん読書もフリーアドレス。自分で選ぶ学習環境、は理想的な環境の一つです。

3,自由に使えるリソース

学びや遊びのリソースに自由にアクセスできるようにしたい。

本や文房具、道具、材料、ICT等々。いちいち大人に許可を得るのではなく、自分の責任で自由に使える(もちろんその使い方、安全管理はしっかり学ぶ機会を作った上で)。必要なものに自由にアクセスできる教室。自己主導で学んでいくときにこの環境は必須です。大人を経由しないと使えないものは不自由でやがて使われなくなってしまう。

これらのものがどのように整理されているか。使いやすく配置されているかのデザインも重要ですね。見てワクワクする配置

こういう環境のデザインって、学校教育の中にヒントや答えはあんまりなくて、学校外にたくさんのヒントやアイデアがあります。

企業のオフィスや、図書館などの先進的な環境は入るだけでワクワクするところがあります。ワクワク大事。

4,他の空間へのアクセスのしやすさ

教室から他の空間へのアクセスのしやすさ、移動のしやすさも重要です。

すぐに外に出やすい教室は、外遊びを誘発するでしょうし、学習中に必要に応じて外へ飛び出していきやすいでしょう。理科室や技術室、調理室などへのアクセスが容易ならば、学びが他の空間に展開しやすい。1のゾーニングは教室内はもちろん学校全体の設計思想でもあります。

他の学年の子や他の先生、大人に出会いやすい環境は、その中でのコミュニケーションや学び合いを生みやすくなります。その意味では30人で1つの教室を使う、ではないアプローチも考えられます。共有スペースを設定するのも一つの方法です。

ちなみにその共有スペースは、近接の学年(1年生と2年生のように)よりも、例えば1年生と5年生等々、3学年ぐらい離れている学年ごとにすると、上学年はケアの気持ちを発揮しやすいのではないかと思います。

「教室が他の空間とつながっている」というデザインがいいなあ。

 

5,学習者と教職員(多様な大人)が相談して自分たちで学習環境を変えていける余地

最後だけれど一番大事かもしれないこと。

常に「自分(たち)でよりよく学習環境を変えていく」ことができる余地があること。その意味ではゾーニングも含めて固定的な空間をつくるのではなく、フレキシブルに変えていける環境が最も大事そうです。家具も移動式にすれば、自由に空間を区切ることができます。どのような学習環境がよいかは、事前にすべて設計できるわけではありません。そこに集うメンバーによりますし、そのコミュニティの成熟や関係性の成熟、学びの変化に伴い、環境もどんどん変化が求められていくでしょう。

そのときに自由に試行錯誤できる余地を残しておくこと。

 

そう思うと、今の無機質な長方形の教室は、自由に机が動かせて、フレキシブルに変えやすい。自分の手元から理想的な環境を試行錯誤できそうですよね!

ないことを嘆くより、手元でできることから考えたいです。

 

最後に。

日常的に過ごす教室にとって一番大事なことは、すべての子にとって居心地がよいこと。常にそこに戻りたいです。大人の想いだけでつくる空間は、いつのまにか当事者を置いていってしまいがちだということを忘れないようにしたいなあと思います。

学校って子どもにとっていちばんおもしろい場所でありたい。そのための学習環境って?何度も何度も考えたい問いです。


編集部より:このブログは一般社団法人「軽井沢風越学園」発起人、岩瀬直樹氏(東京学芸大学准教授)のブログ「いわせんの仕事部屋」2018年2月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は岩瀬氏のブログをご覧ください。