テレビの同時配信についての考えを180度変えました。やるべきです!

氏家 夏彦

画像はイメージです(写真AC:編集部)

あやぶろで「同時配信、ラジオは◯でもテレビは×」というポストを書きました。テレビの同時配信は、テレビ放送をそのまま同じタイミングでインターネットでも配信するというものですが、テレビ局は、特に民放は迂闊にやるべきではないという趣旨のポストでした。

しかし先日、電通総研のラウンドテーブル(フェローのプレゼンをベースに議論する場)で、「テレビの限界と可能性」というテーマでプレゼンしたのですが、その中で、「同時配信はやる価値がある」と、これまでの主張をひっくり返したところ、周囲の人たちにかなり驚かれました。そこで、あやぶろでもなぜ考えを変えたのかを記しておくことにしました。

そもそもなぜ同時配信に否定的だったかというと、実現には3つの大きなハードルがあるためです。そのハードルとは…

①権利処理、②ローカル局問題、③コスト の3つです。

権利処理

テレビ番組を作りそれを放送する時の権利処理と、その番組をネットで配信する権利処理は全く異なります。そもそもテレビ番組は権利の塊です。出演者はもちろん、原作者、脚本家、テーマ曲の作詞家、作曲家、テーマ曲を歌った歌手、テーマ曲のCDを製作した会社、番組内で使用した全ての楽曲の権利者など、全ての権利者の許諾を取らなければなりません。一人でもNOと言えば配信できません。

スポーツ競技も放送する権利と配信権は別なので、配信権がなければ当然、同時配信はできません。

放送の同時配信を実現するには、全ての、、、2時間番組も1時間番組も30分番組も5分番組も、全ての番組で権利処理をしなければなりません。しかもすでに放送された番組なら後から時間を手間をかければまだなんとかできますが、放送される番組をリアルタイムで配信するには、放送前に全ての権利処理を済ませておかなければなりません。CMも同様です。

テレビ局は今、TVerなどで見逃し配信をしていますが、これらの番組は全て事前にこうした煩雑な権利処理をすませています。また各局のVODサービスでは過去のドラマなどを配信していますが、これも膨大な権利処理作業をクリアしたものです。

見逃し配信している番組は、放送している全ての番組の中のごく1部にしかすぎません。全ての番組で権利処理をするためにかかる手間とコストは膨大です。現在でも局によっては同時配信をしている番組はありますが、その番組の中で権利処理できない部分は、画面に蓋をしています。つまり放送を見られないように別の画像(たいてい静止画)をかぶせているのですが、これはほとんどが人による手作業で行われています。

私はこうした配信のための権利処理の現場を知っていますが、このやり方で全ての番組の権利処理をするのは極めて困難です。権利処理の経験がある在京キー局ですら困難なのですから、ましてや未経験のローカル局にとっては、とてもじゃないですが独力で乗り越えることは不可能なハードルです。

ローカル局問題

放送の同時配信と一言でいっても、様々なやり方が考えられます。一つは首都圏で放送している在京キー局の番組をそのまま全国に配信すること。これならローカル局が権利処理に悩むこともありませんし、配信作業も不要です。

しかし日本全国で首都圏のように全民放系列の放送がされているわけではありません。首都圏で放送されている全国ネット局は、NHKは別にして、日本テレビ、テレビ朝日、TBS、テレビ東京、フジテレビの5局です。しかし全国では、県によっては放送局が2局や3局しかないところもあります。テレビ広告というビジネスモデルでは5局を維持できるだけの経済力がないためです。こういう県で首都圏で放送されている全5局の放送を同時配信したら、その県のローカル局は経営を維持することはできなくなるでしょう。

もう一つのやり方は、県ごとの放送局がその県だけを対象に同時配信するものです。他の県の放送局の番組は見られないようにする、例えば在京キー局の番組は放送エリアである首都圏でしか見られないようにエリア制限を設けるやり方です。2局しか放送局がない県では、2局の放送の同時配信しか受けられません。しかしこのやり方では、ローカル局が配信に関わる権利処理を行い、配信に伴う作業を行わなければなりません。経営的に苦しいローカル局がこれに耐えられるかどうかはかなり疑問です。

コスト

当然ながら放送だけでなく配信もするとなると、出演者のギャラも増えます。様々な権利者にも余分にお金を払わなければなりません。権利処理自体に何人もの人を使わなければなりません。それに動画サーバーや回線費用など、ネット配信自体にかかるコストもあります。

テレビ放送というのは、ネット配信では考えられないような多くの視聴がされることがあります。いくつもある動画配信サービスでは、同時に10万人以上のユーザーが視聴することはあまり多くありませんが、放送では100万人以上のユーザーが同時に視聴することはごく普通にあります。これに耐えられるだけの回線を確保するにはかなりのコストがかかります。

もちろん同時配信によって、これらのコストが回収されるだけのプラスαの収入があるなら問題はありませんが、在京キー局、準キー局ならまだしも、力の弱いローカル放送局にとっては深刻な問題になります。

同時配信のメリットは?

このような3つのハードルを乗り越えても、同時配信するメリットは何でしょう。一つは、テレビ放送を見ることができない状況の視聴者でも見られることがあります。例えば、外出していてテレビを見られない時などです。またテレビを持っていない「テレビ離れ」をしてしまった人たち、特に若い世代の人たちでも、テレビ放送に接触できる機会を作れるというメリットもあります。

ところが昨年(2017年)11月にNHKが1ヶ月間行った同時配信の実験では、最後の1週間で同時配信を利用した人は、実験参加者の14.6%しかいませんでした。

同時配信というのは、放送をそのままネットで見るだけですから、ワンセグ放送と変わりありません。2014年の調査ではワンセグ放送に対応したスマホや携帯は半数近いのですが、実際にワンセグ放送を利用した経験のある人は21.4%しかいません。

つまり同時配信にはそれほど需要がないのが現実です。解決困難な3つのハードルを何とか乗り越えても、利用してくれる人は少ないという同時配信に乗り出すメリットは果たしてあるのでしょうか。

それでも同時配信はやるべき

私はこれまで、同時配信のメリットはない、放送局は迂闊に乗り出すべきではないと考えてきました。しかし最近、この考えを改めました。

その理由は、放送という伝達手段がインターネットに比べるとあまりにも不便なのに対し、同時配信は、インターネット・サービスなのでインタラクティブにいろんなことができるためです。もちろんハイブリッドキャスト対応のテレビが徐々に普及しているので、ネットにつながるテレビも少しずつ増えています。こうしたテレビならやり方次第では、ネット配信と近いレベルのインタラクティブ性を確保したり、ネットでは常識となっているサービスを提供できたりします。ただしその仕組みを構築するのは大変です。手間とお金がかかります。

しかしネット同時配信では、もっと簡単に様々なサービスを提供できます。TVerなどの見逃し配信サービスとの連携もできます。SNSとの連動もできます。今見ている同時配信の番組が面白ければ、その番組のその場面を切り取ってTwitterやフェイスブックなどでコメントとともに共有したりもできます。それを見たユーザーが同時配信を見にきたり、あとで見逃し配信を視聴することもあるでしょう。また放送とは別の広告主によるCMの差し替えも可能です。ユーザーの属性に基づくターゲティングCMもできます。ユーザーの視聴ログデータを活用した新たなマーケティングもできるようになります。データを活用した番組の開発・制作もできるようになります。ネットにつながれば、今は思いつかないような新しいサービスや、サードパーティーとのシナジーも生まれるでしょう。

テレビは電波という「制約」から解放される

つまり同時配信をきっかけに、テレビは電波という「制約」から解放されるのです。テレビ放送は電波という一方通行の伝達手段による極めて大きな制約を受けています。もちろん一度に多くの人たちに番組を届けるには、電波が通信より優れているのは当然です。

しかし、番組というコンテンツを様々な付加サービスと共にユーザーに届けるというサービスを実現する手段としては、電波というのはとても使いにくいのです。テレビ放送は、うちにいてテレビの前にいる時にしか見られません。視聴者・ユーザーは、番組が放送で届けられようと通信で届けられようと、関係ないのです。ネットで「いつでも・どこでも」使えるサービスが当たり前になった人たちにとっては、放送はあまりに時代遅れで不便なサービスです。

しかし同時配信によってテレビは電波という「制約」から解き放たれ、広大なネットの世界に乗り出すことができるようになります。この一点だけで、放送同時配信はやる価値があるのです。

もちろん簡単なことではありません。3つのハードルを乗り越えるためには、法改正も必要でしょうし、放送局全体での権利処理の仕組み作りや、同時配信での新たな広告ビジネスを構築しなければならないでしょう。ローカル局によっては、むしろ苦しくなるところも出てくるでしょう。しかし、テレビ放送という古いメディア・サービスが生き残るためには、ある程度の犠牲を覚悟しなければなりません。テレビ放送は今、そこまで追い詰められている状況なのです。

同時配信に賛同するには、権利処理の現場への理解や、同時配信の弊害を見通した上で、それでもやるべきだと言い切る覚悟が必要です。同時配信をやれば、傷つき血を流す人が生まれます。ですから安易にやるべきではありません。それが私が今まで同時配信に対して否定的だった理由です。私が考えを翻したのは、たとえ血を流してでもやる価値があると思うようになったからです。

苦しくてもそこを突破しなければ、テレビに未来は生まれません。テレビの変化のスピードが今のままだとしたら、テレビの未来は閉ざされたままです。テレビの外の世界の人たちと話すたびに、その思いは強くなりました。実は同時配信そのものには需要がそれほどあるわけでもなく、大した価値はありません。しかし同時配信をきっかけにした未来へ向けて踏み出すテレビの進化は大きな価値があるのです。


編集部より:この記事は、あやぶろ編集長、氏家夏彦氏(元TBS関連会社社長、電通総研フェロー)の2018年2月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はあやぶろをご覧ください。