ヤフートピックスにこんな記事が載っていた。
AKB48の影響? 会社を退職ではなく、涙ながらに「卒業」する人が増えるワケ(NIKKEI STYLE) – Yahoo!ニュース
企業社会のあり方から、アイドルグループからの影響まで幅広い視点で論じていて、コラムとして面白かったのだが、心の奥底にある違和感スイッチがオンになってしまった。いや、怒りスイッチと言ってもいい。
このコラムの中でも触れられているが、「卒業」というのは、リクルートグループの関係者がよく使う表現である。約20年前に同社に入社してから、この「卒業」という言葉に違和感を抱いていた。
この春も、Facebookを覗くとリクルート関係者たちが「卒業」という言葉を連呼しており。その個人に対して好意的に思っていても、この「卒業」という言葉にだけは違和感を抱くのだ。「退職」と言えと。
そもそもの疑問なのだが・・・。
誰が卒業して良いと言ったのだろう。
卒業するまでの単位は取得したのだろうか。
やり残したことがないと言えるのだろうか。
たいていが、中退くらいではないだろうか。
このあたりも、同社の奥底にあるヤンキー気質を感じるのである。
いや、まだ、尾崎豊の「卒業」風に「この支配からの卒業」「戦いからの卒業」と言ってくれたら納得するのだが。
リクルートグループに限らず、「卒業」という言葉を使う奴がいたら「何をもって卒業したと言えるのか」「あなたの卒論的仕事は何なのか」と突っ込んで頂きたい。
もっとも、この本でも書いたことだが・・・。「卒業」という言葉に私が違和感を抱きつつも、一部は頷いてしまうのは・・・。この言葉は会社というのは、価値の創造と利益の追求をする場、働く場というだけではなく、コミュニティーであり、ビジネススクールであり、ソーシャルネットワークであることを物語っているともいえる。
いかにも雇用の流動化、ネットワーク化、バーチャル化などが叫ばれる今日このごろだが、人手不足ということもあり、人を引きつける居場所としての機能などに力を入れる企業がそれなりにあり。
その側面を物語っているとも言えるのだろう。
まあ、私はそれでも、労働者は労働力を提供する存在であるので、「退職」というのがまともで「卒業」は言い過ぎじゃないかと思う派なのだが。
皆さんはどう思うだろうか。
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2018年3月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。