森友文書で憲法の国民投票に黄信号

現政権は何をするか不安

森友学園との国有地取引にかかわる公文書を、財務省が大量に改ざんしていたことをとうとう認めました。政権に直結する問題で、このような大規模な文書改ざん、隠蔽、虚偽の説明は前代未聞、森友問題というボヤが大火になりました。

森友問題とは一体、何なのでしょうか。前理事長夫妻は逮捕され、学園はもう死に体です。動いたカネも何億円という単位です。新聞を埋め尽くす公表文書の山を見て、不思議な思いです。狙いは学園そのものより、政治、行政の実体解明ですね。

一連の流れを見ると、交渉の直接の担当者(近畿財務局)の自殺が致命傷になったと、想像されます。命を絶ったノンキャリの職員はお気の毒で、死をもって政治の歪み、行政の仕組みの歪みを告発した形になりました。そのことには意味があります。

政権のトップや官邸は担当省庁に責任、リスクを押し付ける。担当省庁のキャリアは実際の作業をノンキャリに押し付ける。問題が発覚したら「理財局からの指示で、理財局の一部の職員によって行われていた」(麻生副総理・財務相)の一言です。一連の作業を全く聞いていなかったというのなら、そのこと自体が辞任に値します。

検察に引っ張られ、締め上げられるのはまずノンキャリ組からです。安倍首相が「行政の長として責任を痛感している」というのなら、命を引き換えに、何かを訴えようとしてノンキャリの棺の前に、麻生氏とともに頭を垂れるべきです。せめて政権が重視している過労死として認定し、遺族を救済すべきでしょう。

佐川長官も犠牲者かもしれない

権力行使の流れ、実態が国民の前にさらけ出されたとも、いえるでしょう。トップの口癖である「責任は私にある」という実態は何なのか。一身に批判を浴びている佐川国税庁長官しても、本当の最終責任者なのか分かりません。この人も犠牲者であるかもしれないのです。

結論からいえば、安倍政権が最後で最大の業績にしようとしていた国民投票による憲法の改正は、成立の公算に黄信号か赤信号がにわかに点滅し始めたという流れでしょうか。森友学園問題よりずっと大きな位置づけだった政治目標を失うことになりかねないのです。政権中枢からすると、誤算でしょう。

森友学園と憲法改正の国民投票とは、本来、無関係です。それが結びついてしまうことになりかねない。改ざん文書が14、改ざん・削除した箇所が約200だそうです。政権の最終ゴールである憲法改正の国民投票に行くつくために、他の案件で生じた疑念や誤りを一点でも許してはならない。そこから無理が無理を生んだ。

「一切疑念を持たすな」が発端か

そうした流れが結局、火の手を大きくし、政権が国民の信頼を失う結果を招いたという見方は十分にできます。南スーダンの国連平和維持活動の日報、加計学園の関連文書など、始めから理路整然とした対応をせず、失点を隠すほうに意識が向かった。

憲法改正の国民投票の発議は、両院の3分の2以上の賛成を得て、国民投票で過半数を取れば成立します。発議にたどり着いても、政権不信から世論の動向が微妙になり、否決されることも予想できます。今回の改ざんが、虚偽公文書作成罪や虚偽有印公文書作成罪にあたるかどうかより、はるかにこのほうが問題は大きいのです。

麻生氏は「私の進退は考えていません」と、語りました。政治家の発言ほど、あてにならないものはない。与野党の対決、自民党内の権力闘争の行方をしばらく見守る必要があり、追い込まれたら切る。そのカードとして温存しているのでしょう。

憲法改正の案文の作成が進んでいます。憲法上の規定と実態とが合わない部分もあり、改正には意味があります。問題は、自衛隊の位置づけを「必要最小限の実力組織」としても、政治、行政は腹の中では何を考えているかわからない。

災害時に備える「緊急事態条項」にしても、「裏では拡大解釈をし、公表する文書ではそのことを隠すのではないか」という疑念を植え付けてしまった。

森友学園は経営破綻し、開校は不可能でしょうから、実害はありません。詐欺師まがいの人物に攪乱され、乗せられた末の、つまらない事件と記憶されるでしょう。首相が「私や妻が関係したということになれば、首相も国会議員も辞める」と、つまらないことを口走らなければ、決着のつけ方はいくらでもあったはずです。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2018年3月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。