マハトマ・ガンジーの有名な言葉の一つに、「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい…Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever」というのがあります。
「志のある人は、人間は必ず死ぬということを知っている。志のない人は、人間が必ず死ぬということを本当の意味で知らない」とは曹洞宗の開祖・道元禅師の言葉ですが、此の両者は、その志を如何にして次代に引き継ぐかを考えながら生きているか、あるいは全くそういったことに思いを致さないで生きているかが、その分岐点とされるものです。
之は一言で死生観の問題であって、真に志ある人とは、人間死すべき存在であるがゆえ生を大事にしなければならず、生ある間に後に続く人々への遺産を残して行かねばならないことを知っている人を言うのでしょう。
そしてその遺産とは、物的なものでなく「志念の共有」ということであり、世に何らかの意味ある足跡を残して行くということであって、必ずしも有名になったり大事業を残したりといった類に限りません。自分がしっかりとした人生修養をして行く中で学び得たものを、次代に引き継げるようになれば、それだけでも良いのです。
今ここに真剣に生きることが永遠に通じるような生き方になり、肉体が滅びてもその名は時を超え果てしなく残って行くことになります。例えば、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」という辞世句を残した芭蕉は、いつ死ぬか分からぬ中で、「きのうの発句は今日の辞世、きょうの発句は明日の辞世、われ生涯いいすてし句々、一句として辞世ならざるはなし」と大変な覚悟を持ち、今を真剣に生きたのです。
正に死に面したような状況下ずっと生き抜いてきたからこそ、世に優れた句を生み出すことができ芭蕉の名は永遠のものになったわけです。上記覚悟というのは、ある意味「志」と言い換えても良いものだと思います。
常に死を覚悟し今を大切にし、一分一秒といった計数的時間を超越し、「如何に生くべきか」といった自己の内面的要求に基づいて毎日を生きるのです。その生き方こそ永遠の今に自己を安立せしめることであります。今ここに生きることが結果、ガンジーの言う「永遠に生きる」ことに繫がるのだと思います。
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