立教大学時代の指導教授であった野田一夫先生から、2度色紙をもらっています。1度は、大学卒業の時。2度目は、衆議院議員に当選した時です。
野田一夫教授の教えは、僕の経済に対する考え、特にベンチャー企業政策に大きな影響を与えています。というよりも、ゼミで学んだことが僕の精神的インフラになっているのです。でも、政治につては、特に影響されていません。今、思うと野田教授は、政治、政治家が好きでなかったんだと思います。
大学のゼミは、1週間に1度、新進気鋭のベンチャー経営者を呼んでのケーススタディでした。ゼミ生は1週間かけて、企業研究、業界調査、市場調査などをして、その上で経営者を迎えて質疑応答を行うのです。当時、ゼミは「現代産業企業論」と呼ばれていました。
立教大学には3大ゼミと呼ばれるゼミがあって、野田ゼミもその1つでした。ゼミが厳しいという意味での評価だったようで、確かに勉強させられました。ゼミに入るには入ゼミ試験というのがあって、それは書類選考と面接です。履歴・志望動機の書類を提出して、何日かすると面接日となりました。ゼミ室に入ると中にいたのは、野田教授ではなく、ゼミ長を中心とする先輩方でした。
正直、驚いたのですが、1次面接が先輩、2次面接が野田教授なんだと勝手に理解したのです。面接では、何故、野田ゼミを選んだのか、将来に対する方針は何か、ゼミに期待することは何か、等を聞かれたのです。「将来は政治家になりたい」と答えると、「ここは経営学のゼミだよ」と「法律や政治系のゼミに入るべきでは」と先輩に言われたのです。「政治家になりたいからこそ、経済や経営を勉強したいのです」と「経済がわからない政治家なんて意味ないでしょ」と答えてしまったのです。
面接試験は1回のみで、野田教授との面接はなく、先輩方がゼミ生を選んでいたのです。後に4年生の先輩から話を聞くと、政治家志望で生意気で、ちょっとおかしいから、ゼミに入れるべきではないという意見が大半だったようです。「面白いから入れてみたら」という一人の先輩の意見で、僕は救われたようです。その先輩は、後に僕の近所に転居してきて、今でも仲良くしてもらっています。
野田ゼミは、ベンチャースピリット、そしてベンチャー企業の起業を学ぶ場です。同期の誰もが将来の夢は、ベンチャー企業を立ち上げること、そして社会を変革することでした。でも、卒業時には現実路線に戻り、大企業、役所に就職していきます。しかし、何処に所属しても、野田ゼミで植え付けられたベンチャースピリットを忘れている人はいません。
3年間、ゼミで学び卒業を迎え野田教授から1枚の色紙をもらいました。
「未来を自らで拓け。不運を他人のせいにするな。男だろ。」
僕は、政治の道を多くの支援者と共に、正にゼロから切り拓いてきました。上手くいかないことを他人のせいにしたこともありません。人のせいにすると、先が見えなくなるからです。自分の責任と認識した時だけ、ならどうすれば、成功に繋がるのかと考え、行動することが出来るからです。野田教授の思いを守ることがゼミ生の証でもあると同時に、これから歩む人生も、この思いをわきまえて進んでいくつもりです。
編集部より:この記事は元内閣府副大臣、前衆議院議員、福田峰之氏のブログ 2018年3月21日の記事を転載しました。オリジナル記事をお読みになりたい方は、福田峰之オフィシャルブログ「政治の時間」をご覧ください。