フローレンスは、障害児訪問保育アニーという、医療的ケア児のお家に保育士と看護師を派遣して、終日お預かりする事業をしています。
普通の保育園では中々受け入れづらい、医療的ケア児を何とか預かりたい、ということで、2015年4月から始めました。
その一番最初の利用者が、丸茂らんちゃんでした。
チューブがついていたら受け入れられない
丸茂らんちゃんは、約4ヵ月の早産で、出生体重487gの超低出生体重児として産まれました。NICUに10ヶ月半入院し、呼吸器と酸素を持って退院しました。それから一年半の在宅治療を経て、2歳半のときには、呼吸器から離脱することができました。
夏ごろから翌年4月の復職を目指し、らんちゃんママである丸茂さんは保育園探しを始めましたが、その時にはまだ、娘さんには鼻から胃に栄養を送る、経管栄養のチューブがついていました。
娘さんを連れて何園も保育園の入園相談に行ったのですが、「チューブがついていたら、受け入れられない」と全ての保育園に入園を断られてしまいました。
保育園に断られ続け、策も尽きた頃、らんちゃんは既に3歳。らんちゃんの妹である、下のお子さんの育児休暇をつなげ、4年間の休業状態で日々をしのいでいましたが、娘さんの医療的ケアにまつわる精神的、肉体的負担は想像以上に大きく、育休期間はあっという間に過ぎていきました。
そんな時、僕が自分のFacebookで、「保育園に行けない障害児のお家に保育士が行って、1日保育する。そんなサービスに興味がある方いらっしゃいますか?」と呼びかけました。広告予算もないので、SNSを使っての無料告知でした。
そこに丸茂さんは手を挙げてくださり、第一号利用者となってくださったのでした。
涙の卒園式
アニーはお家でのマンツーマン保育なので、正確には保育「園」ではないのですが、同様に卒園式を行います。
卒園式にらんちゃんは、車椅子で登場。何と自分で車椅子をこいで進むことができるまでになりました。
保育園入園を阻んだ経管栄養のチューブは、すでにありません。発達とともに、チューブがなくとも食べられるようになったのです。
3年間、マンツーマンで保育し続けてきた保育士の山下あかりと一緒に、手遊びを披露してくれました。「ありがとう」等のハンドサインも上手です。
お母さんはスピーチで、
「卒業したくない。ずっとアニーを利用し続けたかった。あかりちゃんは、先生と言うより、私達家族の素晴らしい友人です。」と涙ながらに語ってくれました。
それを聞いて、普段はひょうひょうとしている山下も大粒の涙をぽろぽろとこぼしていました。
僕は僕で、最初から最後まで泣きっぱなしでした。
医療的ケア児に保育の光を
当初は、「医療的ケア児をマンツーマンでお預かりするなんて難しいことを、できるわけがない」と言われた事業でした。
新しい制度を使うため、その解釈も行政ごとに一定しておらず、常に自治体と国と喧嘩しながら進めてきました。
保育士に加えて、看護師の巡回もつけて、質を安定させるためスーパーバイザーを置き・・・と人手がかかりすぎることから、財務的には未だに黒字基調には乗っていません。
苦労がいっぱいで心折れそうになる時もあった3年間でしたが、それが全部帳消しになるくらい、やって良かった、と思えた瞬間でした。
多分自分が死ぬ時の一瞬の間に見る走馬灯の中に、この卒園式でのらんちゃんの笑顔が入っていることでしょう。
らんちゃんが会員番号1番で、今は33番まで来ました。来年度は54番までいきます。一つ一つの番号に、子どもと家族との深い関わり合いと、物語があります。
これからも、一つ一つ丁寧に、物語を紡いでいきたいと思います。
らんちゃんやご家族の皆さん、アニーチームのみんな、寄付や支援をしてくださった方々、全ての人に心からの感謝を。
編集部より:この記事は、認定NPO法人フローレンス代表理事、駒崎弘樹氏のブログ 2018年3月27日の投稿を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は駒崎弘樹BLOGをご覧ください。