働く女性支援を続けてきた、認定NPO法人フローレンスの駒崎です。
土俵で倒れた市長を、女性看護師が救急救命しようとしたら、「女性は降りろ」と行司が言った、という信じられないような事件が起きました。
人の命より伝統を優先するその姿勢に、社会の厳しい目が向けられたわけですが、実はその「伝統」 とやらも、実はたいしたことはなく、今となっては単に女性差別だ、と確信しています。
以下、説明します。
(本記事作成において、北海道教育大学紀要「相撲における「女人禁制の伝統」について」吉崎・稲野から多くを引用しています)
最古の相撲は女相撲
日本の史書に初めて「相撲」という言葉が登場したのは、日本書紀の雄略天皇部分。
「雄略天皇が采女(うねめ)を呼んで、采女がその場で服を脱いで、相撲をとった」とあります。
采女とは、天皇や皇后の側で食事など身の回りのことを行う女官のことです。
え、女官?
最古の記録にある相撲から、女相撲です。
いきなり女人禁制じゃありません!なんなんでしょうか。
室町時代にもなかった女人禁制
1596年刊行の「義残後覚」に、相撲の記載があります。
勧進相撲といって、今で言うところの寄付集めのファンドレイジングイベントですが、そこでは色んな人達が、寄付集めをしている側の力士に挑んでいくのですが、その中に女性の僧侶(比丘尼)もいた様が描かれています。
室町時代でも女人禁制なんて、ないわけです。
女相撲が盛んだった江戸時代
では後の江戸時代ではどうか。
めっちゃ女相撲やっています。
しかも、男性の方の相撲の本場、回向院(今の国技館があるところ)で開催されているのです。
相撲が国技化した明治
江戸時代まで見世物であった相撲にとっては、ターニングポイントとなりました。
欧化政策によって、明治当初は野蛮な風俗として排斥されそうになりますが、それを土俵際で持ちこたえ、明治42年(1909年)、常設館を設置し、その名前を「国技館」と命名。
別に政府が当初より認めたわけではないですが、相撲業界側が国技として喧伝していって、相撲=国技の認識が一般化していったのでした。
相撲界のマーケティングの勝利です。
明治末期に国技となった相撲は、見世物である存在から、自分たちが特別なものである、という権威付けを行って行く必要が出てきて、神道や仏教を再び取り込み、自らが伝統と歴史に基づいた、正当な文化の継承者であることを表明していきました。
この流れの中で、古くからあった神道の不浄の概念を利用して、女人禁制の概念を徐々に創り出していったというのが研究者の指摘です。
根強く昭和まで続いていた女相撲
とはいえ、明治が終わり、昭和に入っても、女相撲は続いたようです。
「女大関 若緑」という遠藤泰夫さん著作では、著者の母親である女相撲のスター、若緑の人生を綴っています。
そこでは昭和の初めから太平洋戦争まで、女相撲が人気だったことを伺わせます。
では、いつ女人禁制が確固として確立されたのか、というところはよく分かっていないようなのですが、少なくとも山形では第二次大戦後11年経った、昭和31年(1956年)まで続けられていたようです。
女人禁制は伝統じゃない
昭和31年というのは、昭和54年生まれ38歳の筆者の生まれる23年前で、今からすると62年前です。
まあ昔と言えば昔ですが、「伝統」というと嘘になる程度の近しい過去です。
1956年というと、通天閣ができた年ですが、誰も「通天閣は伝統ある建築物だから、世界遺産に登録しよう」とは言い出しません。
役所広司さんが生まれた年らしいですが、「役所広司は伝統だから人間国宝にしよう」という動きもありません。
「女人禁制」はちっとも伝統ではないのです。
女人禁制は、単なる女性差別
歴史を紐解けば分かる通り、日本相撲協会が言っている、「女人禁制は伝統」というのは、明治期以降に神道によって過剰に権威付けせざるを得なかった相撲界が、おそらくは戦後に作りだした虚構です。
つい最近創られた虚構を、いい大人たちが信じ切っているのも滑稽な話ですが、問題なのは女性を貶め、女性を差別していることです。
相撲協会は、馬鹿げた虚構の伝統にいつまでもしがみついていないで、今すぐこの女人禁制という女性差別をやめるべきです。
全ての伝統が肯定されるわけではありません。現在、生き残っている伝統は、時代に合わせて自己変革し続けてきたから、命脈を保ってきました。
そうでなければ、ちょんまげ同様、時代と共に消えていくのです。
自己変革なき伝統は、単なる因習です。
因習化した相撲は、存在意義がありません。少なくとも、公益法人として、税の優遇措置を受ける資格はないし、NHKという公共放送で放送されるべきでもありません。
拙文お読み頂き、ごっつぁんです。
編集部より:この記事は、認定NPO法人フローレンス代表理事、駒崎弘樹氏のブログ 2018年4月8日の投稿を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は駒崎弘樹BLOGをご覧ください。