「決められない政治」に戻る安倍政権

森友学園をめぐる文書改竄事件が佐川元理財局長の国会証言で一段落したと思ったら、防衛省の日報問題が再燃し、今度は加計学園について元首相秘書官が「首相案件」と呼んだという愛媛県のメモが出てきた。これは財務省や防衛省とは違って公文書ではなく、違法性もない。

こんな些細な事件を1年以上も騒ぐ国会は異常だが、こういう情報をマスコミに提供するのは官僚機構のインサイダーである。官邸主導の安倍政権に、官僚たちが「面従腹背」の反乱を起こしているのかもしれない。次々にボロが出てくる安倍政権は、政権末期の状態だ。久々の長期政権は、また「決められない政治」に戻っていくのだろうか。

自民党と財務省の終わりなき戦い

安倍政権で批判の的になっているのは、内閣人事局を中核とする官邸主導の体制だが、これは安倍首相が発明したものではない。戦後の日本では、憲法によって国民の選んだ国会が内閣総理大臣を指名し、首相が行政を統括することが原則だが、現実には行政の大部分は官僚に委任されてきた。

この政官共同体は、1980年代までは成長による「果実の分配」という共通利益で結びついていたが、90年代以降の「負担の分配」では利害が食い違い始めた。バラマキを続けたい自民党に対して、大蔵省は負担の増加を求めたからだ。

1993年に細川内閣で、小沢一郎氏は大蔵省と結託して7%の「国民福祉税」を提案したが、一夜にして撤回した。その細川内閣が10カ月で倒れたあと、自民党の大蔵省に対する報復が始まった。予算編成権で官僚機構の中枢機能をもつ大蔵省に対して、自民党は人事権を握って人的な中枢機能で対抗しようとしたのだ。

それが橋本内閣で始まった行政改革である。このとき官邸機能の強化も決まり、内閣官房(首相官邸)に予算の「企画立案」機能をもたせた。それを補佐する各省庁より格上の機関として内閣府が創設されたが、内閣府は出向者の寄り合い所帯で、中核は経済企画庁や総務庁などの弱小官庁だったので、求心力は弱かった。

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