あまり検察が強くなり過ぎるのも困るなあ、と思っているが、検察が最初から政治に阿るようなことをやってしまえば、批判の矛先は検察に向かう。
決裁済み文書の改竄の事実は明々白々なのに、決裁文書のもっとも重要な部分については殆ど書き換えが行われていないから公文書偽造の罪にまでは問えない、とか、国有財産の処分に至る経過にはずいぶんおかしなことがあるが、それでも国が蒙った損害額が一義的に決定できるかどうかについては疑義があり、背任罪で立件するには問題がある、などという理由を並べ立てて不起訴処分にしたりすると、日本の検察はやっぱり死んでしまったのか、ということになる。
大方の法律家が指摘されているとおり、ここは偽計による業務妨害、偽計による公務執行妨害で捜査を遂げられる方がいい。
国会や会計検査院の権威を貶めるようなことを財務省の理財局が組織的に行っていた、ということは、もはや誰も否定できないはずである。被害者は、文書の公開を求めてきた一部の国会議員だけではなく、国会そのもの、ひいては国民全体だということになる。
偽計による業務妨害なり偽計による公務執行妨害で告発した方が現におられるのかどうかは知らないが、一連の事件は行政に対する国民の信頼を根底から破壊してしまうようなおぞましい事件である。
正義を実現すべき検察が、一連の事件を不問にしてしまえば、日本には正義がないのか、ということになる。
ここは、検察の頑張り時である。
ガンバレ、ガンバレ。
編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2018年4月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。