ひと月半程前『「人の成功を素直に喜べる」人は、何が違うのだろうか』と題されたブログ記事がありました。結論から言えば、人の成功を素直に喜べない人は、日頃からあらゆる事柄を相対観で捉えている人だと思います。
私などは相対観で物を考えないよう心掛けてきていますから、他の人々の小事を含めノーベル賞等の人類社会の進歩発展に多大なる貢献を果たすアチーブメントに対し、良いものは良いと純粋に嬉しく思います。之は、当たり前と言えば当たり前の話でしょう。
他方、昔から「他人の失敗は蜜の味」という言葉もありますが、人の成功を妬んだり人の失敗を喜んだりするような人が世の中には結構います。そういう人は常に物事を相対比較して、「自分が上なのか下なのか」「自分にとってプラスかマイナスか」といった物差しで全てを推し量って行くわけです。
例えば明治の知の巨人・森信三先生は、あらゆる苦は相対観から出発すると述べられます。「あの人はどの学校を卒業した/私はこんな学校しか出ていない」「あの人は金持ちだ/私は貧乏だ」「あの人は美しい/私はブス」「あの人は賢い/自分は愚かだ」---そうした相対観が如何に虚しいものかを知れば、人間の苦はなくなると言われるのです。「賢愚一如」という言葉がありますが、我々人間を創りたもうた絶対神から見れば、人間の知恵の差など所詮微々たるものであり、人間の差などというものは意味がないのです。
相対比較の中でしか自分の幸せを感ずることが出来ず、その相対的な幸せを得る上での妨げとなる人物に比し自分を卑下したり、恨み等の感情を抱くといった具合に、相対的な価値観の中で生きている人の心には一生安らぎは訪れ得ません。自分を楽にし自分の品性の向上に繋げる上で、相対観から解脱して行くことが私は非常に大事だと思います。
相対観からの解脱をもう少し考えて見ますと、例えば福澤諭吉の言葉に「独立自尊」とあります。独立とは「自らの頭で考え判断するための知力を備えることにより、精神的に自立する」ということで、自尊とは平たく言えば「自らの品格を保つということ」です。
人に依存したり媚び諂ったりせずに自分で主体性を確立し世のため人のために生きている人であれば、他人が立派なことをやったら「あぁ、これは偉い」と素直に見るものでしょう。相対観がため他者を怪しからんと言うのは、全くナンセンスで馬鹿げていると思います。
BLOG:北尾吉孝日記
Twitter:北尾吉孝 (@yoshitaka_kitao)
facebook:北尾吉孝(SBIホールディングス)