英国のスクリパリ事件の「核心」は?

英国で3月4日、亡命中の元ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)スクリパリ大佐と娘が、英国ソールズベリーで意識を失って倒れているところを発見された。調査の結果、毒性の強い神経剤が犯行に使用されたことが判明した(治療を受けてきた両者は生命の危険は脱し、健康を回復してきた)。

▲オランダのハーグのOPCW本部(OPCW公式サイトから)

▲オランダのハーグのOPCW本部(OPCW公式サイトから)

英生物化学兵器実験所ポートンダウン研究所は事件発生直後、「ロシア人元スパイ暗殺未遂事件で使用された神経剤はロシア製の『ノビチョク』である可能性が高い」と発表した、ボリス・ジョンソン英外相は当時、「100%確かだ」と強調した。

それに対し、ロシアのラブロフ外相は今月14日になって、「検出された神経剤は無力化ガスと呼ばれるBZ(3-キヌクリジニルベンジラート)で、西洋諸国で製造された。同物質は冷戦中に米国の化学兵器として備蓄されていたが、ロシアの備蓄には一度も含まれたことがなかった」というスイスの核・生物・化学兵器防衛研究所(シュピーツ研究所)の研究結果を明らかにした。

英国の「ポートンダウン研究所」とスイスの「シュピーツ研究所」はいずれもその分野では世界的に権威のある研究機関だ。両研究所で一致している点は、犯行に有毒化学物質(toxic chemical)が使用されたことだ。

英国の場合、殺人手段に有毒化学物質が使用されたこと、その犠牲者が元ロシアの情報関係者だったことで世界のメディアの注目を一層浴びた。

ロンドン発とモスクワ発の情報が連日発信され、一方は「こうだ」と主張し、他方は「それは全く違う。事実はこれだ」といった具合に、相反する情報がメディアで報じられている。その情報のジャングルの中、一般の読者は事件の核心を見失い、困惑に陥ってしまう。そこで頭を冷静にして、情報を少し整理したい。

オランダのハーグにある化学兵器禁止機関(OPCW)関係者は12日、殺人未遂事件に使われた神経剤は「ノビチョク」と断定した英研究所の分析結果を追認する一方、「ノビチョク」は旧ソ連で開発されたとされる猛毒だが、今回の事件で使用された神経剤がどこで作製されたかについては明言を避けた。

一方、シュピーツ研究所は「BZは冷戦中に米国の化学兵器として備蓄されていたが、ロシアの備蓄には一度も含まれたことがなかった」と指摘し、注目された。ラブロフ外相は早速、「OPCWはシュピーツ研究所の分析結果を考慮していない」と異議を唱えたわけだ。

OPCWのウズンジュ事務局長は18日、「犯行に使用された神経剤にはノビチョクのほか、西側で作製された神経剤が実験所で見つかった」というラブロフ外相の反論に対し、「ノビチョクの一種だけで、他の神経剤は見つかっていない」と述べる一方、「BZは調査を検証するためにOPCWがスイスの研究所に送ったコントロール実験(対照実験)用だ」と説明した。すなわち、科学研究において、結果を検証するための比較対象を設定する実験を行ったわけだ。

もちろん、ロシア側もそのことを知っていたはずだが、ラブロフ外相はあたかも新たに発見したかのように「BZ」説を主張し、英国側の「ノビチョク」説の信頼性を崩そうとしたわけだ。

シリアでもダマスカス近郊の東グータ地区で今月7日、シリア政府軍が化学兵器を使用し、多数の市民に犠牲が出たが、ここでもロシアの関与が囁かれている。
化学兵器のルーツを探す場合、①化学兵器を作製できる技術力を保有している国、機関、②化学兵器への操作経験を有している国、機関、③犯行の動機―の3点の条件が考えられる。その3点の全てに該当する国は目下、ロシアしかないのだ。

シリアの場合、アサド政権もロシアもOPCWチームに化学兵器が使用された現場査察を早急に認めるべきだが、ロシア側は様々な理由を挙げて現地査察を阻止している。これでは「やはりロシアか」といった印象を国際社会に与えてしまうだろう。西側外交官では「証拠品などは既に持ち去られただろう」という声が支配的だ。

現代は情報合戦だ。その中にはフェイク・ニュースも含まれているから、事件の核心を掌握するのには容易ではない。
世界の情報機関は特定の目標を達成するためにさまざまな情報工作を展開するが、その中で重要な工作は、正しい情報を発信することではなく、無数の相反する情報を流すことで事件の核心を隠蔽することにある。ロシアの情報放送「Russia Today」(RT)やオンラインの情報通信「Sputnik」が得意とする分野だ(「モスクワ発情報には注意を」2016年12月2日参考)。

英国のスクリパリ事件の場合、どの国が技術力(①)と経験(②)を有し、犯行を実行する動機(③)があるかだ。特に、③は決定的だ。ロシアは目下、③を隠蔽するために、有毒化学物質の特定論争にテーマをすり替えようと腐心しているのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年4月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。