テレビ朝日も貴乃花も被害者「側」なのか

flickrWikipediaより:編集部

「側(サイド)」という言葉が変な使い方されているようだ。貴ノ岩問題のときは貴ノ岩は被害者だが、貴乃花親方についてまで、「被害者側」だから批判されるのはおかしいという馬鹿がいたが、貴乃花もまた貴ノ岩に対する加害者でもあったと私は思う。

今回も女性記者は、被害者だが、テレビ朝日に無理な取材をさせられ、クレームも取り上げられなかったのだから、テレビ朝日も加害者であるし、いやがる女性記者にあたかも嫌がっているそぶりを見せないで話を引き出せと具体的に指示しないまでも、そうしてまで取材しろという文化をもっていたのだから、福田氏に対しても加害者でもある要素もありうる。それが抗議文を大蔵省にというのは違和感がある。

女性記者自身については、彼女にも落ち度があったようなことをいうのは、こうしたセクハラ事件の一般論として、具体的な根拠を占めさず、単なる推測でいうのはよほど慎重であるべきだ。

ただし、一方で、落ち度がなかったと断定するのもおかしなことだ。ところが、単なる推測で落ち度があったようにいう論調や、落ち度があっても無視すべきだというような論調があるが、それはどちらもおかしいと思う。

それから、デーブ・スペクター氏の指摘にもあったように、欧米におけるMe Too運動はセクハラ被害にあった女性が勇気をもって自ら名乗り出て告発することにおいて画期的だった。

それに付随して、どうしても名乗り出てこれないケースにおいて、匿名でもするべきだという議論もないわけでないと理解している。しかし、あくまでも、自分から勇気をもって名乗り出ることにおいて画期的なムーブメントなのだ。

そういう意味で、野党の議員がMe Too運動というものとだいぶ距離があるわけで、虚偽表示だ。それに、恥ずかしくて名乗れないというのは、今回のようなケースなのだろうか。

女性記者が次官から品の悪い猥談を持ちかけられていたというのが、彼女の職業柄からいっても、恥ずかしくて人に言えないようなことなのか甚だしく疑問な気がする。

それから、余談だが、欧米、とくに、アメリカでは、職場において、「いろっぽいね」とか「いい胸してるね」といった身体的な特徴などについて冗談をいうことは非常にまずい。女性の隣で「週刊現代」や「週刊ポスト」的なグラビアなど見ることもアウトだ。だから、日本の航空会社もこれらを追放した。このあたりは、国によってずいぶんと感覚が違う。ヨーロッパとアメリカでも大違いである。

IMFのストロスカーン元事務局長がアメリカに赴任することになったとき、「フランスで許されることがアメリカでは命取りになることも多いから気をつけろ」といわれたのに、フランス流を通したらああなったらしい。