恩師が衣類の大放出会を行い。ジャニーズ風だと思ってゲットしたら、まるでTUBEの前田さんになってしまった。
それはそうと、民進党・希望の党が合流した政党の名前が、「国民民主党」、略して「国民党」になるそうだ。そうなる方向だという報道を見かけ。講義が終わったら本当にそうなっていてびっくりした。鉄人・衣笠祥雄の訃報に接したあとだったこともあり、失意のどん底である。
祖父母の代から反自民で。旧民進党系の方を応援しており。民進党や立憲民主党の何人かの議員の後援会にも入っている。日本には全うな中道、左派政党が必要だと思っている派だ。
私は身も心も引き裂かれるような断腸の想いを胸に、忘恩的行為であることを認識しつつ、今ここで起ちあがらないならば、人類滅亡の危機さえ招くことを直覚し重大な決意をもってこの檄を叩きつける。この妥協を糾弾し、強固な反逆の狼煙をあげることにする。岩波・朝日文化人を目指す左派文化人見習いとして、支持者として苦言を呈させて頂く。
この名前は、ない。さらには、何を目指す政党なのか、ビジョンを提示して頂かなくては支持できない。自民党とは何が違うのか。どんな日本を目指すのか。さらには、この名前で選挙に勝てるのか。支持者としても、この名前にはのれない。思想難民化、魂の空白化を回避しなくてはならない。民進・希望を批判するのは忘恩的な行為ではあるが、それでも批判せざるを得ないのは、この党名である。
「国民」という言葉を入れたのは、国民に寄り添った政党を目指すという意味なのだろう。ただ、逆にこの言葉が、この政党のスケールの大きさではなく小ささを示してしまっていないか。日本を「国民」という枠組みをこえて捉え直すことが必要な時代ではないだろうか。さらには「国民」とうたうことによって、右派政党臭がしてしまうことも頂けない。「国民党」にしろ「国民民主党」にしろ、語呂、音も好ましくない。すでにネット上では「みんみん」などと揶揄する声が上がっているのだが。
なんせ、ビジョン、政策を磨かなくてはならない。さらには組織力、個人力を。政権交代可能な党を目指すのか、与党のブレーキ役を担うということに振り切るのか。大塚・玉木を始めとする代表や幹部は、この党名に込めた想いを丁寧に説明して頂きたい。
安倍首相、麻生財務大臣、自民党に対する国民の怒りは燎原の火のごとく燃え広がっている。不満と不信が鬱積している。安倍も麻生も憤激する市民の闘いに直面していよいよ断崖絶壁に追いつめられ、顔面蒼白だ。内閣支持率も危険水域が近づいていると言っていい。その安倍政権の息の根を止めんばかりの野党の連携は効果的に進んでいる。別に野党が与党の足を引っ張っているわけではない。野党はまっとうな主張をしているまでだ。
この風がふく中で、この党名はいかがなものか。「国民」という包摂的なようで、排他的な言葉をなぜ選んだのか。小池某の言う「排除」の臭いすら見え隠れしている。
日本の政治は安倍一強、自民一強と言われつつも、正確には野党多弱であった。しかし、最近の野党の攻勢には目を見張るものがあった。いきものがかり風に言うと「風が吹いている」。その流れの中で、この党名には失望するばかりである。
民進・希望の合流は否定しない。ただ、今からでも遅くはない。党名はぜひ、再考して頂きたい。それこそ、労働党でも良いではないか。
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2018年4月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。